「夏木陽介(なつきようすけ)」とは?
夏木陽介の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「夏木陽介」とは?簡単に説明
夏木陽介は東京都八王子市出身の俳優です。
1958年に東宝に入社し、同年「美女と液体人間」で映画デビューしています。
1960年代の青春学園ドラマの先駆け的な作品「青春とは何だ」の主演で一気に知名度を上げ、その後も順調に映画やドラマへの出演を重ねていきます。
そして、テレビドラマ「Gメン‘75」や映画「ゴジラ」などの代表作となる作品への出演で、爽やかさと野性味を兼ね備えたダンディな二枚目俳優としての地位を築いていきます。
「夏木陽介」の晩年
晩年、夏木陽介は俳優としての活動の傍ら、個人事務所「夏木プロダクション」を立ち上げ、賀来千香子や西村和彦などの後進を育成したり、車好きが高じてパリ・ダカールラリーにラリドライバーとして出場するなど活動の舞台を次第に俳優業から広げて行きます。
しかし、2009年に軽い脳梗塞を起こしてからは、翌2010年3月に胆石の経過観察の検査で左腎臓にステージ3のがんが見つかり摘出手術を行なうなど、亡くなるまでの約10年間は病気との闘いの毎日となっていきます。
2014年には高齢を理由に個人事務所の「夏木プロダクション」を閉じますが、「オフィス夏木」をあたらに立ち上げ、俳優業は続けていきます。
「夏木陽介」の死に様
夏木陽介は2018年(平成30年)1月14日午前10時46分に腎細胞がんのため東京都内の病院で亡くなりました。
81歳でした。
夏木は2017年10月2日に微熱が続いていたため、弟に連れられて病院に行き、肺炎と診断されて入院します。
同10月14日に退院し、その後は高野山でのクラシックカーのラリーに参加すべく準備していました。
しかし、同11月25日にストレッチをしていたところ転倒して再び入院となり、この時に胸椎のがんが発見されます。
その後は次第に体調は悪化していき、同12月27日に集中治療室に入ったときは午後に意識を失い、そのまま意識は取り戻しませんでした。
すでにこの時にがん細胞が脳にまで転移していたためのようです。
「夏木陽介」の死に様の信憑性
夏木陽介の死去は病院内でのことであるため、死に様の信憑性は高いでしょう。
また、夏木の死去については1月19日未明の夏木の公式ブログで発表されています。
これは夏木の友人である作家の山川健一が友人代表として追悼文を記載したもので、上述の死に様もこのブログの内容を参考に記載しています。
まとめ
夏木陽介は2018年(平成30年)1月14日午前10時46分に腎細胞がんのため、満81歳で逝去しています。
腎臓へのがんが直接の死因ですが、がんは腎臓だけではなく、胸椎や脳にも転移しており、全身に冒されていたようです。
それに加えて脳梗塞、胆石、肺炎と満身創痍ながら亡くなる間際までアクティブな人物だったことがうかがわれます。