「長尾政景」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「長尾政景」の死に際とは?日本の人物

「長尾政景」は、長尾房長の子で坂戸城城主でした。

越後国を代表する武将であった上杉謙信と対立し、敗北。

その後は上杉謙信の重臣として仕えます。

「長尾政景」は38歳の時に溺死するという不審死を遂げています。

そんな「長尾政景」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈していきます。

「長尾政景」とは?簡単に説明

「長尾政景」は、戦国時代の越後国において上杉謙信(長尾景虎)を始めとした上杉氏の家系と、元々同じ分派であった上田長尾氏の政景の家系が存在していましたが、決して仲が良いとは言えない時代が続きました。

上杉謙信の兄である為景が後継者を謙信に譲った事から、政景の上杉氏への反発は強さを増していきました。

不穏な空気が流れ続けた越後国ですが、ついに政景側が攻撃を開始し1550年に内乱が起こります。

しかし政景側の重臣が多数離反するなど戦況は悪く、連敗を喫してしまいます。

その後なんとか時間を稼ぐ政景でしたが、それも空しく降伏させられ、越後国は統一される事になりました。

政景は上杉謙信の姉を妻に迎える事で処刑を免れています。

その後、上杉謙信との関係は良好だったとされ、出家しようとした上杉謙信を説得したりしています。

しかし政景は1564年坂戸城近くの池で溺死するという不審な死を遂げるのでした。

「長尾政景」の死に様

「長尾政景」は、1564年7月5日に、友人であった宇佐美定満と坂戸城近くの池で船に乗り酒を飲んでいました。

しかし酔った二人は口論となり、船ごと転覆し二人とその家臣もろとも溺死してしまいました。

「長尾政景」の死に様の信憑性

「長尾政景」の死因は溺死とされていますが、別の説がいくつか存在します。

前述したように、友人の宇佐美との酒盛りで酔っ払い口論となり船が沈み溺死したという説、同乗していた宇佐美定満によって暗殺されたという説、内乱に敗北し忠誠を誓ったはずの上杉謙信の命令によって殺された説、船上で心筋梗塞などの突然死を起こしたという説などその死因ははっきりとは分かっていません。

後日、同じ船に乗っていた家臣の親族の話によると、政景の遺体には傷のような物があったという証言もあるそうですが、はっきりとした死因については現在でも分かっていません。

「長尾政景」の小ネタ等

忠誠、及び和睦の証として上杉謙信の姉であった綾姫を妻に迎えていますが、二人の夫婦仲は非常に良好だったことが分かっています。

政景の死を悲しんだ綾姫は、二人の若い肖像画が描かれた掛軸を制作し政景を供養したと考えられています。

まとめ

「政景長尾」は上杉謙信と対立し、内乱を起こしますが敗北、上杉謙信に忠誠を誓うのですが、最期は酔っぱらって溺死してしまいます。

現在ではこの説が有力とされていますが、暗殺されたのではないかという説も一部存在し、本当の理由は不明のままです。

果たして真相はどうだったのでしょうか。

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