シャンソンやカンツォーネの歌手として知られる岸洋子は58歳で亡くなっています。
「夜明けのうた」や「希望」などのヒット曲で多くのファンから親しまれていた彼女の死因について解説していきます。
「岸洋子」とは?簡単に説明
昭和9年に山形県酒田市で生まれた岸洋子は、日本のシャンソン界において第一人者と言っても過言ではない人物です。
元宝塚劇団の越路吹雪(こしじふぶき)と共に戦後の日本のシャンソン界をけん引してきた岸は、越路と人気を二分し「魅せる越路、聴かせる岸」などと称されていました。
小学校高学年のころから歌人である加藤千恵に師事しながら音楽を学んでいた岸は、高校を卒業した後、東京芸術大学に進学して、オペラ歌手を目指していましたが、当時患っていた心臓神経症によりオペラへの道を断念しています。
しかしながら、闘病中に病院のベッドで聴いたフランスの国民的象徴ともいえるシャンソン歌手エディット・ピアフのアルバムに心を激しく動かされたことでシャンソン歌手を目指すことを決意した岸は、その後、日本のシャンソン界で人気を博し、不動の地位を築きますが、平成4年に57歳で死去しています。
「岸洋子」の死に様
岸洋子は、平成4年12月11日に57歳で永眠しています。
34歳のころに膠原病を発症していた岸は、そこから闘病生活と並行して音楽活動を行っていきますが、最終的に感染症を併発してしまったことにより、腎臓にも悪影響を与え、これらが原因で引き起こした敗血症により急死しています。
「死んでもいいから、クリスマスのショーまではファンのために歌いたい」と担当医師に直訴し、それが認められたことで死亡する1ヶ月前までステージに立って観客の前で美しい歌声を披露し続けていた岸でしたが、再手術を目前に控えた矢先に急死しています。
「岸洋子」の死に様の信憑性
日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した「夜明けのうた」によりその人気を不動のものにしつつあった岸洋子は、元々、膠原病の持病を持っていましたが、闘病生活を送りながら音楽活動を続けている状態でした。
特殊ともいえるシャンソンというジャンルにおいて、数多くのファンに愛されたこの代表曲は異例の51万枚というセールスを記録し、人気も上昇していきますが、膠原病を持病に持ち、普通の人よりも非常に疲れやすい体質だった岸は、自身の人気が上昇していくのに反して、体力は少しずつ低下していきます。
その後も闘病中の自身に言い聞かせるような楽曲「希望」をリリースし、ファンと自身の希望を込めた音色を奏でますが、最期は病に打ち克つことができず57歳で永眠しています。
「岸洋子」の小ネタ等
紅白歌合戦に7回出場し、日本レコード大賞の歌唱賞も受賞している岸洋子は、シャンソンという音楽ジャンルを日本に広めたひとりであると言えるでしょう。
彼女の歌う名曲「希望」は、選抜高校野球の入場行進曲に使用されるなど、幅広い年代のファンに愛されていました。
まとめ
シャンソン歌手の第一人者として知られる岸洋子は58歳で亡くなっています。
若い頃に罹患した膠原病の後遺症と闘いながらも、最期まで多くの観客の前に立って歌い続けたその魂は、現代のシャンソン界でも間違いなく生き続けています。