もう1人の“カナ”「内藤香菜子」の死に際とは?
この記事では内藤香菜子の晩年と死に際について解説していきます。
「内藤香菜子」とは?簡単に説明
中学時代から既に名前の知られた選手で2年時には強化選手、3年時にはMVPに該当するJVA・JOCジュニアオリンピックカップを受賞。
将来を嘱望されています。
高校時代は引く手数多の中から山梨県の女子バレーの名門・増穂商業ではなく甲府商業へと進学。
同校を春高バレー初出場に導いたうえで2年連続出場しています。
高校卒業後はやや運に見放され、所属チームがイトーヨーカドー・武富士と連続廃部を経験。
全日本女子チームへの定着は叶いませんでしたが、武富士並びにNECで主将を務めた実力者と言えるでしょう。
「内藤香菜子」の晩年
2012年6月に31歳で『NECレッドロケッツ』を勇退して第2の人生を歩み始めました。
13年からは『株式会社エール』に所属し、バレーの裾野を拡げるべく精力的な活動を行っていました。
主に神奈川県にて女子中高生、ユース世代の指導をする傍ら、講演、巡回指導で全国行脚の日々を続けています。
またDAZNではVリーグの解説をするなど活動範囲は多岐に渡っていました。
「内藤香菜子」の死に様
2019年10月13日に死去。
詳細については公表されていません。
スポーツ紙では闘病中だった事が記載されています。
38歳没。
「内藤香菜子」の死に様の信憑性
自身の公式ブログである『内藤香菜子 Kanako’s Blog』での更新は亡くなる約2ヶ月前の19年8月2日の更新が最後になっていました。
ただし同日の記事は告知だけで終わっており、彼女の姿が窺えるのは前年12月27日が最後になりました。
15〜17年の写真と比較すると頬が痩せた印象はありますが、病気との因果関係は不明です。
亡くなった経緯は所属事務所は15日付けで公表。
通夜は18日、葬儀は19日に行った事実を報告する形になりました。
プライベートでも交流のあった「宝来麻紀子」「落合真理」諸氏も突然の訃報に驚きは隠せなかったようです。
かつての所属チームや全日本で親交のあった方々のSNSでも故人を悼むコメントは見られましたが、病気については触れられていませんでした。
まとめ
2019年10月13日に死去。
38歳没。
死没地、死因など詳細については未公表で不明です。
講師として所属していた会社が18日に通夜、19日に葬儀を出身地である山梨県甲府市で行った事実を公表するだけでした。
晩年はバレークリニック、ユース世代の指導、DAZNの解説と多岐に渡って精力的な活動を行っていました。
ブログの更新が止まった19年1月以降に体調不良が顕著になったと推測されます。