「鷺沢萠」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「鷺沢萠」の死に際とは?日本の人物

女子大生小説家としてデビューした鷺沢萠(さぎさわめぐむ)は、35歳という若さで亡くなっています。

今回は、上智大学在学中に文學界新人賞を最年少で受賞した彼女の死因を詳しく解説していきます。

「鷺沢萠」とは?簡単に説明

昭和43年に東京都世田谷区で生まれた鷺沢萠こと松尾めぐみは、女子大生作家としてデビューした小説家で、上智大学の外国語学部に在学している時に当時最年少で文學界新人賞を受賞しています。

芥川賞候補に挙げられた「葉桜の日」や、三島賞候補に挙げられた「ほんとうの夏」などのヒット作を経て、早くから物書きとして頭角を現していた鷺沢は、平成4年に出版した「駆ける少年」で泉鏡花文学賞を受賞しています。

その後、作品を執筆していく傍ら、取材により自身の父方の祖母が韓国人であることが判明した鷺沢は、自身に韓国人の血が流れていることを知って、そのルーツを辿るべく韓国にある延世大学へ留学します。

この韓国での生活により、自身の源を探り、その後の作品においても新境地を開いくことに成功した鷺沢でしたが、平成16年に縊死により35歳という若さで亡くなっています。



「鷺沢萠」の死に様

平成16年、35歳を迎えた鷺沢萠は、ひとりで暮らしていた家で、首を吊って亡くなっています。

遺体発見当時、室内には彼女が一緒に暮らしていた犬が残されたままでしたが、争った形跡や遺書などは発見されず、検死の結果、死因は縊死であると公表されています。

壊れてしまった家族の関係を描いた「川べりの道」で文学界新人賞を受賞した彼女は、その後自身のルーツとかかわりの深い在日韓国人青年のこだわりを楽しく描いた「ほんとうの夏」を執筆するなど、人々の揺れ動く心情を赤裸々に描く筆致が特徴でした。

執筆を開始した当初は自身が日本人であることに疑いを持っていなかった鷺沢でしたが、自身の祖母が韓国人である事実を知った彼女の作風はそこから変わっていき、新しい作品では新境地を開いたという評価を得ていたものの、実際の彼女の心情は図り知ることはできません。



「鷺沢萠」の死に様の信憑性

人生の大半を日本人として普通に過ごしてきた鷺沢萠は、自身に韓国人の血が流れている事実を知って、そのルーツを辿るべく韓国の大学に留学してまで確認したいことがあったのではないかと言われています。

在日韓国人の多くは、自身が純粋な日本人ではないことを知ると少なからずショックを受け、その事実を受け入れるまでに時間を要すると言います。

韓国留学後、以前からの執筆スタイルに変化が現れた鷺沢は、明るく楽しく在日韓国人を描き始めましたが、その一方で揺れ動く彼女自身の心情を整理することは叶わず、常に自身のルーツや意味を熟考していたとも考えられています。

生前彼女自身が書き残していたブログの内容には、自身がうつ病で悩まされながらも、必死で生きて続けている心情が綴られていました。

「鷺沢萠」の小ネタ等

喫煙者だった鷺沢萠は、自身の周りに「水がなくなると不安になってしまう」水への依存症を患っていました。

女性ながらも麻雀への造詣が深かったり、オートマ車よりもマニュアル車を好むなど、彼女の嗜好は限りなく男性寄りだっとと言います。

まとめ

上智大学在学中に小説家としてデビューを飾った鷺沢萠は縊死により35歳で亡くなっています。

彼女が執筆した多くの作品は、芥川賞や三島賞の候補に複数回挙げられるほどの高評価を得ており、自身に韓国人の血が混じっていることが判明した後も、新境地を開いて描き続けたその作風は、今でも沢山のファンに愛され続けています。

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