この記事では、「内藤法美」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「内藤法美」とは?
内藤法美とは東京都出身の作曲家及びピアニストで、越路吹雪の夫としても知られています。
1951年に日本を代表するラテンバンドの東京キューバン・ボーイズに入団しました。
その後、作曲家及び編曲家として独立しています。
プライベートでは、シャンソン歌手で女優でもある越路吹雪と1959年に結婚しました。
非常に夫婦仲が良く、おしどり夫婦といわれていたようです。
「内藤法美」の晩年
内藤法美は晩年も、様々な音楽活動を行っていました。
オリジナル・ミュージカルの作曲や編曲を多数手がけており、「唐人お吉」や「女優ものがたり」「星から来た少女」といった作品が挙げられます。
また、作曲や編曲だけではなく、ミュージカルの音楽監督なども務めています。
ブロードウェイ・ミュージカルの日本公演では、「ピーターパン」や「屋根の上のバイオリン弾き」「ウエストサイドストーリー」などで音楽監督や指揮を務めています。
その中でも「ピーターパン」は、1981年の初演から1987年まで7年に渡って音楽監督を務め上げた作品です。
それから妻である女優の越路吹雪を1980年に亡くしていますが、それまでは越路吹雪のリサイタルやディナーショーで音楽監督や指揮、作曲、編曲、構成など幅広く手掛けています。
2人の間に子どもはいませんでしたが、公私共にかけがえのないパートナーでとても仲が良かったといわれています。
「内藤法美」の死に様
内藤法美が亡くなったのは、1988年7月9日のことです。
死因は肝臓がんでした。
享年58です。
妻である越路吹雪が亡くなってから8年後のことでした。
肝臓がんは肝臓に発生した悪性腫瘍です。
肝臓は沈黙の臓器といわれることもあり、自覚症状が乏しいため早期発見しづらいといわれています。
「内藤法美」の死に様の信憑性
内藤法美は妻が胃がんで亡くなった時には、胃がんであることを本人には明かさなかったといいます。
精神的に脆いところがあったので、絶望してしまうことを恐れたからです。
妻を亡くして内藤法美はかなり気落ちした様子だったといいます。
自らが肝臓がんを患った時には、告知を受けたかどうかは分かっていません。
まとめ
内藤法美は晩年も作曲家や編曲家、音楽監督として活動を行っていました。
妻の死から8年後、肝臓がんにより亡くなっています。
享年58でした。