マセキ芸能社の大御所「内海好江」の死に際とは?
この記事では内海好江の晩年と死に際について解説していきます。
「内海好江」とは?簡単に説明
「内海桂子・好江」のコンビ名で漫才をしていたのは今更いうまでもありません。
しかし意外に知られていないのは2人に血縁関係がない事でしょう。
夫婦漫才師「荒川小芳・林家染寿」の娘で両親が桂子氏と兄弟弟子関係ゆえに預けられる形でデビューしています。
現役時代を知らない方にとっては「ウッチャンナンチャン」や「出川哲朗」氏の師匠という側面が強いのではないでしょうか。
彼らのフリートークで若い頃を回顧する時には必ずと言っていいほど、名前が出され師匠と敬愛されていました。
「内海好江」の晩年
『午後は○○おもいッきりテレビ』の生電話コーナーでは歯切れの良いトークを展開していた事で有名。
当時自身が文化放送で持っていたレギュラーのラジオ番組かと思わせるほどでした。
その反面漫才師としての活動は控えめになっており、ピン芸人としてバラエティに出演する事が多くなっていました。
また桂子氏には内密に単独での仕事を増やしていた事が明らかになり、密かに不仲・解散説が囁かれる様になったのは至極当然と言えるでしょう。
しかしプライベートでは長年連れ添った夫と1995年に死別。
そし悲しみにくれる暇もなく彼女の身体を病魔が蝕んでいました。
「内海好江」の死に様
1997年10月6日、東京都内の入院先で逝去。
61歳没。
死因は胃癌によるものでした。
「内海好江」の死に様の信憑性
胃癌が発覚したのは夫と死別後の1996年の事でした。
既に発見された段階で末期癌のステージ4であり、手の施しようがありません。
このため痛む身体を抑えて、テレビ番組や寄席、舞台へと立ち続けています。
その一方で若い頃から叱責され続きで不仲説が流れていた事がある桂子氏には末期胃癌である事を一切明かさなかったと言います。
82年の芸術選奨文部大臣賞受賞パーティーの席上で長年の不和が解消。
美談扱いされる事も多いエピソードですが、実際は疑問が残り好江氏の不満の根はかなり深い物があったと言えるでしょう。
桂子氏もまた好江氏には旦那はじめ多くの取り巻きがいて、自分を捻じ伏せたかったんだろうと述懐しています。
まとめ
1997年10月6日、都内の入院先で逝去。
61歳没。
死因は1996年に発覚した胃癌の憎悪によるものでした。
晩年はピン芸人として活躍するとともに歯に衣を着せない毒舌キャラを確立させています。
仕事の順調さとは裏腹にプライベートは多難だったと思われます。
1995年に夫と死別。
1996年には自身も末期癌に蝕まれている事が発覚してしまいました。
入院加療はするも回復は叶わず亡くなっています。