「村下孝蔵」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「村下孝蔵」の死に際とは?日本の人物

青春の甘さとほろ苦さを歌った初恋、正統的な抒情派フォークの歌い手村下孝蔵の最期とは?

この記事では村下孝蔵の晩年を解説していきます。

「村下孝蔵」とは?簡単に説明

男性シンガーソンガーとして活動期間はそれほど長くはありませんが、数々の名曲を残したのが村下孝蔵です。

特に淡い恋情を描いた大ヒット曲ともなった初恋はアイドル、ニューミュージック、アニメの劇中歌でもカバーされ、今後も多くの歌い手にカバーされていくことでしょう。

この他にも89年の年末に起きた事件で傷心の中森明菜に捧げた「アキナ」、アニメめぞん一刻の主題歌「陽だまり」そして「踊り子」「ロマンスカー」など数々の名曲を歌いあげました。



「村下孝蔵」の晩年

83年のヒット曲となった「初恋」以降も順調に曲をリリースしてきたものの90年代に入った頃にはやや人気が頭打ちとなり、アルバムの売上枚数も伸びず落ち込む時期を過ごします。

92年に発売された渾身の一曲「ロマンスカー」も売り上げはよくありませんでした。

悩みのなかで悟りを開いたと言います。

その後も曲をリリースしつつ、90年代を代表した音楽バラエティー「THE夜もヒッパレ」では新境地、元来のポップス好きな一面を見せつつありました。



「村下孝蔵」の死に様

悲劇が襲ったのは96年の6月20日のことです。

東京駒込のスタジオで七夕コンサートのリハーサル中に体調を崩し、頭痛、吐き気を訴えたうえに広島時代の古い友人がスタジオを訪れると話し、明らかに様子がおかしい状態に陥ります。

しかしマネージャーの判断のもと病院へ向かうも、救急車も呼ばずに駒込から虎ノ門まで電車で向かうのでした。

おおよそ駒込駅から虎ノ門病院へは電車と徒歩ならば40分強の移動だったでしょう。

結果的にここでのタイムロスと安静な状態で移動できなかったのが、最悪の事態を招いたのかもしれません。

虎ノ門病院でCTの中に入ったところで意識不明の昏睡状態に陥りました。

昏睡の原因は高血圧性脳内出血だと明かされましたが、1週間程度で回復し日常生活に戻ることが可能だと所見がくだります。

しかし脳内出血の再発が致命傷となってしまいます。

96年6月24日、入院からわずか4日後に息を引き取りました。

享年46。

「村下孝蔵」の死に様の信憑性

亡くなった当日の詳細について、デビューから20年来の付き合いがあり、レコーディングプロデューサーを務めていた須藤晃氏が2016年に故人への思いを込めて彼のことを語っています。

七夕コンサートのリハーサル中に空あくびをして頭痛を訴えていたこと、さらには痛みから生じる幻覚も見ていたようでした。

悔やんでも悔やみきれないのは、この時マネージャーと電車でかつて入院していた虎ノ門病院に向かったことでしょう。

病院についた際には既に生命の危険があったとも、回復の余地があったとも言われますが、真相は語られていません。

まとめ

村下孝蔵は83年に肝炎を患うとその後も入退院を繰り返し、東京・広島との二拠点生活を断念。

東京での活動に専念します。

ただし96年6月20日に倒れた際の死因は高血圧による脳内出血でした。

一命はとりとめたものの再度の脳内出血により同年6月24日に46歳でその生を終えています。

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