長谷川町子は、アニメ「サザエさん」の原作者として知られています。
長谷川町子の晩年と最期を紹介します。
長谷川町子とは?
長谷川町子とは、日本で女性として初めてプロの漫画家として活躍した人物です。
代表作には、「サザエさん」や「いじわるばあさん」等があります。
「サザエさん」はテレビアニメ化され、現在も放送が続く名作アニメとして有名です。
磯野家の日常を描いており、新聞に連載されると大人気となりました。
「いじわるばあさん」はブラックユーモアに溢れた作品で、長谷川町子自身がモデルという話もあります。
長谷川町子の晩年
長谷川町子は晩年、漫画の執筆は行っていません。
「サザエさん」が最後に掲載されたのは1974年で、当初は3年間の休載を予定していました。
しかし、連載が再開されることはなく、本人にも漫画を描く意欲はなかったようです。
1982年には紫綬褒章を受章します。
その時のインタビューで、漫画を描かない意向であることを明かしています。
それから勲四等宝冠章を受章したり、日本漫画協会賞文部大臣賞を受賞するなど晩年には今までの漫画家としての功績が称えられました。
また、1985年には東京都の桜新町に長谷川美術館(現長谷川町子美術館)を設立しています。
町子自身が初代館長となりました。
長谷川町子の死に様
長谷川町子は、1992年に72歳で亡くなりました。
冠動脈硬化症による心不全で亡くなったとされます。
亡くなる一週間前に脳血腫という診断を受けていました。
入院して病院で手術をするように勧められていましたが、本人がそれを断ったといいます。
47歳の時に胃がんを患ったこともありますが、家族が告知を選ばなかったので本人は胃潰瘍だったと亡くなるまで信じていました。
その時には、胃の半分以上を摘出しています。
長谷川町子の死に様の信憑性
長谷川町子の死が公表されたのは、亡くなってから1か月が過ぎた頃でした。
町子の仕事を取り仕切り、プライベートでもサポートしていたのは姉の毬子です。
毬子は家族で設立した出版社の姉妹社で、経営を担っていました。
葬儀を密葬で済ませたのは、本人の希望と毬子の意向だったようです。
その後、長谷川町子には国民栄誉賞が授与されました。
まとめ
長谷川町子は晩年、すでに漫画の執筆はしていませんでした。
長谷川美術館を設立し、自ら館長に就任しています。
そして、72歳の時に心不全で亡くなりました。