「佐々木すみ江」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「佐々木すみ江」の死に際とは?日本の人物

「佐々木すみ江(ささきすみえ)」とは?

佐々木すみ江の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「佐々木すみ江」とは?簡単に説明

佐々木すみ江は東京府出身の女優、声優です。

1950年に結成されたばかりの「劇団民藝」に第1期生として入団し、翌1951年に「その妹」で初舞台を踏んでいます。

以降、数多くの舞台に出演しますが、1971年にオーナーの宇野重吉に対する不満から下条正巳らとともに退団します。

その後はテレビドラマや映画にも積極的に出演し、長年にわたって名脇役として活躍しています。

身長が160センチもあり、舞台活動が主流だった1950〜60年代当時としては高かった身長にはっきりとした目鼻立ちから「和製ソフィア・ローレン」とも呼ばれていました。



「佐々木すみ江」の晩年

晩年は意地悪なお婆さんから優しくて包容力のある女性まで様々な役どころを演じています。

中でも記憶に残る役柄は、2008年のNHK大河ドラマ「篤姫」での養育係の菊本役が挙げられます。

「女の道は一本道でございます」という名セリフが印象的な役でした。

また、テレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」での中井貴一の母親役も名演でした。

母親という一面だけではなく、中井貴一の兄嫁に対する姑としての一面を対比して見せた演技が見事でした。



「佐々木すみ江」の死に様

佐々木すみ江は、2019年2月17日午前11時に突然自宅で倒れたため、都内の病院に緊急搬送されます。

しかし、同日午後12時59分に肺炎のため、東京都内の病院で息を引き取りました。

90歳でした。

佐々木の所属事務所は同月20日の公式ホームページで佐々木の死去を伝えています。

また、この20日に親族だけで密葬が営まれています。

佐々木は亡くなる1か月前の1月17日、18日に映画の撮影で地方ロケに行くほど元気でしたが、この仕事が佐々木の最後の仕事になっています。

なお、亡くなった際、公開を控えた出演映画は4本あったとのことで、その精力的な仕事っぷりに驚かされます。

「佐々木すみ江」の死に様の信憑性

佐々木すみ江は病院内で亡くなっていること、また所属事務所からも公式に発表がされており、肺炎で亡くなったという死因も信憑性としては高いでしょう。

「佐々木すみ江」の小ネタ等

佐々木の夫はすでに2003年に他界していますが、産経新聞編集長で筑波大学名誉教授の青木彰です。

青木は親友だった司馬遼太郎が亡くなった時に、司馬の小説「坂の上の雲」の映像化に関してNHKの西村エグゼクティブ・プロデューサーと交渉していた時の話です。

青木は、「いい作品を」と言って西村と固い握手を交わした際に、「うちの婆さん(佐々木すみ江)を(ドラマで)使ってくれないか」と小さな声で頼んだ数日後に亡くなったそうです。

そのことを青木の7回忌の集いで西村から聞いた佐々木は照れながら青木の遺影に向かって蹴とばすようなふりをして、周りを笑わせたそうです。

佐々木のお茶目な一面と、この夫婦の愛情の深さがうかがえるエピソードです。

ちなみに佐々木はこの「坂の上の雲」に女中のよし役で出演しています。

まとめ

名脇役の佐々木すみ江は2019年2月17日午後12時59分に肺炎のため、東京都内の病院で息を引き取りました。

90歳でした。

タイトルとURLをコピーしました