「高畑勲」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「高畑勲」の死に際とは?日本の人物

実はテレビ朝日版ドラえもんの功労者「高畑勲」の散り際とは?

この記事では高畑勲の晩年と散り際について解説していきます。

「高畑勲」とは?簡単に説明

「宮崎駿」氏や『スタジオジブリ』の印象を持たれる方が多いのは間違いありません。

そのじつ年輩の方にとってはカルピスまんが劇場の『アルプスの少女ハイジ』や『母を訪ねて三千里』と言った毎週日曜日のゴールデンタイムに放送された作品群が印象的だという方も多いのではないでしょうか。

初期の作品群から海外で高い評価を受け、ジャパニメーションを広めた第一人者。

変わったところでは日本テレビ版ドラえもんでアニメ化に不信感を抱いていた「藤子不二雄」氏を翻意させた立役者なのはあまり知られていないところです。



「高畑勲」の晩年

2000年代初頭に日本古来の軍記物語である『平家物語』の映像化が頓挫。

日本の古典ではあるもの『竹取物語』に題材が変化するなど右往左往した感は否めず、実際に商業ベースで完成するまでに多大な年月が必要となりました。

2013年に公開された『かぐや姫の物語』後にあらためて、長年の目標であった平家物語のアニメ映像化に取り組むことになります。

また晩年は日本の政治に積極的に提言。

共産党を支持し、安倍政権の改憲問題など諸政策、原発の再稼働に断固とした姿勢で臨んでいます。

しかし念願の映像化に漕ぎ着けた平家物語ですが、既に当初の構想からは20年近い日々が流れたことで、それを具現化していく時間はあまりにも少なかったと言えるでしょう。



「高畑勲」の死に様

2018年4月5日1時19分に東京都板橋区の帝京大学医学部付属病院で永眠。

82歳没。

死因は肺癌によるものでした。

「高畑勲」の死に様の信憑性

没後に身内から明かされたのは、17年4月に既に肺癌の切除手術を受けていたことでした。

18年初頭に『平家物語』の映像化を断念するも身体の動いた2月半ばまで講演会をこなしていたとされます。

3月頭には散歩できるほどの体調でしたが、月末に入院した時には呼吸困難で会話は不可能だったのこと。

最期に企画していた『平家物語』のアニメ化については「木曽義仲」を高畑氏は愛しており、彼を描きたかったと言います。

また既存の作風、日常描写の生活感ではなく、合戦の描写、構想を語っていたとされ「木曾の最期」に駆ける20年越しの執念、想いを寄せていました。

「木曽義仲」「巴御前」の滅びの美学が描かれるはずでした。

まとめ

2018年4月5日1時19分に板橋区の入院先で逝去。

82歳没。

死因は肺癌によるものでした。

00年代初頭に断念した『平家物語』のアニメ化を進めていたもの、またしてもその願いは叶いませんでした。

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