辛口政治評論家「三宅久之」の死に際とは?
この記事では三宅久之の晩年と死に際について解説していきます。
「三宅久之」とは?簡単に説明
年輩の方にとっては『新伍のお待ちどおさま』や『新・アフタヌーンショー』で平日お昼の名物コメンテーターとしての懐かしい顔。
若い方にとっては日曜日の報道・情報番組に局を跨いで出演していた事から“日曜の評論家”のイメージを持たれている方が多いと思われます。
80年代半ばから急激に露出が増え、辛口のご意見番として知られていました。
「三宅久之」の晩年
傘寿を過ぎた頃から体調不良が顕著に現れる様になりました。
元々持病として糖尿病に罹患していたもの、加齢も手伝って症状は悪化の一途を辿っていたようです。
それでも大阪へと収録に足を運ぶと『たかじんのそこまで言って委員会』では歯切れの良いコメントや裏話を披露していました。
しかし2011年秋から携帯酸素ボンベに加え、移動に車椅子を用いねばならなくなるほどに体力の衰えは著しくなってしまいます。
その結果2012年6月に評論家活動から身を退く事を明らかにしました。
以降はブログとFacebookへの投稿が主な評論活動になっています。
「三宅久之」の死に様
2012年11月15日8時46分に都立広尾病院で死去。
82歳没。
死因は“病死と思われる”と各紙曖昧な表現で記載しています。
「三宅久之」の死に様の信憑性
11年秋からは体調不良ではなく、体力の衰弱が顕著になりました。
12年6月には既に年内持たないかもしれない事をご子息に打ち明けていたそうです。
闘病の様子は久之氏の死後に開設された『愛妻・納税・墓参り家族から見た三宅久之回想録』で知る事ができるでしょう。
各紙の訃報とは違った真実を知る事ができるはずです。
訃報記事では8日退院、その後静養と各紙記載されていますが、実際には死期を悟って最期は自宅で過ごすのを希望したというのが本当のところでしょう。
自身の健康状態について報告したちょうど1ヶ月前からは考えられないほどの衰弱した様子だったと言えます。
また報道ではトイレに行きたいと言って倒れたとされているため、心筋梗塞やヒートショックが死因に思われます。
しかし実際には前夜から下血が止まらずに5〜6回トイレに向かっており、それは潰瘍性の下血だった事も明かされました。
また退院後は散髪と入浴を行い、旅立つ身支度も済ませていたそうです。
まとめ
2012年11月15日8時46分に都立広尾病院にて逝去。
82歳没。
死因は病死で具体的な病名は公表されていません。
新聞報道からはヒートショックや心筋梗塞、脳梗塞を死因としてイメージされますが、実際には潰瘍性の下血が酷く前夜から苦しんでいたそうです。
没後に三男の「三宅眞」氏が『愛妻・納税・墓参り 家族から見た三宅久之回想録』のタイトルでブログを開設。
2011年秋からの久之氏の終活や最晩年の様子について明かしています。
各紙の訃報記事より遥かに信憑性は高いと言えるでしょう。