この記事では、「三原順」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「三原順」とは?
三原順とは北海道出身の漫画家で、少女漫画の「はみだしっ子」シリーズが有名です。
1973年に「ぼくらのお見合い」が漫画雑誌の別冊マーガレットに掲載され、漫画家としてデビューしました。
1975年から「はみだしっ子」を漫画雑誌の花とゆめで連載すると、10代の少女達から圧倒的な支持を受け大人気となります。
家庭に問題がある4人の少年達が主人公の物語です。
「三原順」の晩年
三原順は晩年も、漫画家として活動していました。
1986年からは花ゆめEpoに「Sons」という漫画を連載しています。
「Sons」は三原順の代表作でもある「ムーン・ライティング」シリーズの1つで、「ムーン・ライティング」の主人公とマスとD. D. の子ども時代を描いたファンタジックな作品です。
1993年からは「ビリーの森のジョディの樹」の連載をスタートしています。
別冊花とゆめやMIMICO、ミッシィコミックスDXなどに不定期に掲載されました。
「ビリーの森のジョディの樹」は、同じ日に同じ病院で生まれたビリーとジョディが主人公です。
かわいそうな子どものビリーと幸せに育ったジョディの葛藤や心の機微を丁寧に描いています。
「三原順」の死に様
三原順が亡くなったのは、1995年3月20日のことでした。
「ビリーの森のジョディの樹」を連載中の出来事で、突然死でした。
病死と公表されていますが、詳しい死因などは発表されていません。
42歳という若さで亡くなっています。
「ビリーの森のジョディの樹」は未完でしたが、アシスタントや知人が協力して出版にこぎつけました。
下書き状態のページもあります。
「三原順」の死に様の信憑性
三原順は突然死だったため、心筋梗塞などの病気ではないかといわれています。
元々、心臓に持病があったという説もあるようです。
ただし、病死とのみ公表されているので真相については分かりません。
42歳という若さでの急死だったため自殺したのではないかという説もありますが、病死ということは明らかになっているので自殺したという可能性は低いです。
まとめ
三原順は晩年も漫画家として活動しており、「ビリーの森のジョディの樹」という漫画を連載中でした。
しかし、42歳という若さで急死しています。
「ビリーの森のジョディの樹」は未完のままとなりました。