「大原麗子」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「大原麗子」の死に際とは?日本の人物

少し愛して長~く愛された女優大原麗子の晩年、最期とは?

この記事では大原麗子の晩年、最期に迫ります。

「大原麗子」とは?簡単に説明

大原麗子とはいわゆる清楚なマドンナをイメージさせる役どころを演じたらピカイチな昭和の女優。

しかし可愛らしいというだけではなく、小悪魔的な魅力から魔性の女の魅力を表現できる演技力を持ち合わせていたのが特徴と言っていいでしょう。

それは結婚したい・嫁にしたい女性タレントで70年代~80年代トップに君臨し続けたことに如実に現れており、好感度ランキングでは14回の1位を獲得したほどでした。

また女優としてだけではなく、サントリーレッドのCM「少し愛して、長~く愛しては」は現在に至るまで使われる名台詞です。



「大原麗子」の晩年

私生活を犠牲にする形で90年代半ばまでは女優として一線の場に立ち続けていた彼女でしたが、五十路に入る前後から様々な病気に悩まされます。

最たるは1999年整形手術の失敗により、日本映画の名作とも言える『天城越え』の主演を降板せざるを得なくなったことでしょう。

女優の命とも言える顔、そして瞼が腫れ上がってしまったことは彼女の心に大きなダメージを与えてしまうのでした。

その年の11月には再発はありえないとされるギランバレー症候群が発症し、休業宣言するところまで追い詰められてしまいます。



「大原麗子」の死に様

女優として第一線から離れ、テレビには出演しなくなったため、その死のインパクトは世間には衝撃的なものとして伝えられました。

2009年8月6日、連絡が取れないことを不審に思った弟「政光」氏が通報。

警察とともに自宅の寝室で亡くなっている姿で発見されました。

62歳没。

「大原麗子」の死に様の信憑性

6日発見され、翌日に行政解剖が行われたところ死因は脳内出血によるものだったことが明らかにされています。

二度の離婚後は最期まで独身を貫いたこと、表舞台から姿を消していたこともあり、週刊誌にはセンセーショナルな文言が並んでいたのは覚えている方も多いことでしょう。

難病ギランバレー症候群はまだしも孤独死・腐乱死体などの煽り文句にファンならずとも心を痛めた方は多いはずです。

実際にはギランバレー症候群は完治したら、再発するのは稀だと言われており、専門医もマネージャーを務めた実弟も懐疑的だも言及しています。

前年、自宅で転倒して大怪我をしていたことが明かされるなど新事実も明らかにされました。

さらに不整脈に苦しんでいたことも明かされ、脳内出血の原因はそれによるものだったと言われています。

まとめ

大原麗子は不整脈による脳内出血により、2009年8月3日(日時は行政解剖による推定)で亡くなりました。

連絡が取れないため不審に思った実弟が通報し、警察とともに寝室で亡くなっている実姉を発見しています。

彼女の死後は週刊誌や夕刊紙にギランバレー症候群・孤独死をはじめとしたセンセーショナルな文言が並びました。

しかし実際の死因はギランバレーではなく前述した通りの脳内出血によるものでした。

ただし亡くなる一年前には夜中に救急車を呼んで、自宅から5分ほど離れた場所へ這って向かったとのエピソードもあり、彼女が何の病気であったかの真相は不明だと言っていいでしょう。

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