「原田芳雄」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「原田芳雄」の死に際とは?日本の人物

「原田芳雄(はらだよしお)」とは?

原田芳雄の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「原田芳雄」とは?簡単に説明

原田芳雄は東京都出身の俳優です。

俳優座養成所に入団し、同期に夏八木勲、栗原小巻、林隆三、地井武男、太地喜和子などがいます。

1967年に「天下の青年」でデビューし、俳優座を退座後は「冬物語」で人気を博し、「竜馬暗殺」で主役の竜馬をワイルドに演じています。

生涯で100本を超える映画作品に出演にし、原田に影響を受けた俳優も多く、松田優作もその一人です。



「原田芳雄」の晩年

原田芳雄は2008年11月に大腸ガンが発見されます。

病院嫌いだった原田はこれまで定期検診を受診することがなかったようですが、この時は急に胃の調子が悪くなり診察を受けたそうです。

その結果大腸ガンが見つかり、摘出手術を受けることになります。

この時は手術後約1ヶ月の静養の後に仕事に復帰しています。

ただし、完治していたわけではなく、抗がん剤治療は継続し、がんとの闘病を続けながらの俳優活動の再開でした。



「原田芳雄」の死に様

原田芳雄は2011年7月19日午前9時35分に肺炎のため、東京都内の病院で死去しました。

71歳でした。

テレビドラマ「高校生レストラン」にレギュラー出演している際に病状が悪化し、降板を余儀なくされます。

実は2008年に大腸ガンが発見された時、医師は家族に対して「原田は余命2年」と宣告していましたが本人には秘密にされました。

すでに末期ガンだったためです。

遺作映画となったのは原田が主演の「大鹿村騒動記」でこの作品は原田が企画し、長野県大鹿村に昔から伝わる村歌舞伎を披露された作品です。

原田は7月11日に開催されたこの映画の完成披露試写会に車椅子姿で出席しています。

そして試写会から8日後の2011年7月19日に亡くなるのです。

死因は肺炎で、その肺炎を招き寄せたのが大腸ガン(上行結腸ガン)でした。

「原田芳雄」の死に様の信憑性

映画「大鹿村騒動記」の完成披露試写会に車椅子で参加している状況から見ても、死に様の信憑性は高そうです。

試写会に参加する前に腸閉塞と誤嚥性肺炎を発症していた上に、腰部脊柱管狭窄症が悪化したため車椅子での登場になったようです。

原田の長女で女優の原田麻由が車椅子を引いていました。

ただし出席はしたものの医師の反対を押し切っての登壇だったようで、この時はすでに話すこともままならない状態だったそうです。

そのため、原田のメッセージは俳優仲間で生涯の盟友と言われる石橋蓮司が代読しています。

また原田の長男によると、亡くなる2日前に「もうダメだ」と、原田にとって最初で最後の弱音を吐いたそうで、覚悟していた節があります。

まとめ

若い頃はアウトロー的な個性の強い役柄が多い原田芳雄ですが、晩年は「父と暮らせば」でのような優しい父親役も演じており、新たな魅力を見せていたところでした。

誰よりも肉体を鍛えていたといわれる原田ですが、病魔に勝つことはできなかったようで非常に残念です。

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