「高峰三枝子(たかみねみえこ)」とは?
高峰三枝子の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「高峰三枝子」とは?簡単に説明
高峰三枝子は「歌う映画女優」と言われた昭和の大女優で、歌手としても大ヒット曲を出しました。
高峰は18歳で映画デビューし、瞬く間に人気女優になります。
またデビュー翌年の1937年末に公開された「浅草の灯」の劇中歌がきっかけで歌手デビューもします。
私生活では英文雑誌を発行する実業家の鈴木健之と結婚し、一人息子を授かりますが、のち離婚しています。
その息子の清貴も交通事故を起こしたり覚醒剤売買で逮捕されるという波乱に満ちた人生を送っています。
「高峰三枝子」の晩年
高峰三枝子の主演映画はいずれもヒットし、また歌手としても映画とは関係なくヒット曲を出すなど、彼女の人生はいかにも順風満帆かに見えましたが、それを狂わせるのが私生活でした。
1954年の離婚が元で心労が重なり、声帯が凹むという奇病に罹り、ステージで声が出なくなります。
これにより歌手活動を休業に追い込まれます。
また1977年には、離婚後は女手一つで育てた一人息子の清貴が覚醒剤取締法違反の容疑で愛宕署に逮捕されます。
この時、高峰は涙ながらの謝罪会見を行ないますが、世間からの大バッシングを受けています。
「高峰三枝子」の死に様
高峰三枝子は1990年(平成2年)4月18日に大田区田園調布の自宅で倒れ、世田谷区の日産厚生会川崎病院に緊急搬送されて入院します。
倒れた原因は脳梗塞で、意識は朦朧混濁し、左半身は完全に麻痺していました。
その後、一時的に意識は回復し、命の危険は去ったかに見えましたが、入院から1ヶ月後の同年5月25日に容体が再び急変し、翌々日の5月27日午後5時30分に死去しました。
正式な死因は脳梗塞で、71歳でした。
根っからの女優さんで、亡くなる直前まで「早く仕事に戻りたい」と言っていたそうです。
「高峰三枝子」の死に様の信憑性
高峰三枝子は病院での死去であることからその死に関して特に問題はないようで、死に様の信憑性は高いと思われます。
ただ、晩年体調を崩されたとか持病があったとかの報道が見当たらないので、どうしたのかなとちょっと不思議に思いました。
まとめ
高峰三枝子の若かりし頃の作品はあまり観たことがありませんが、印象に残っている作品と言えばやはり角川映画第1弾の「犬神家の一族」での松子役でしょうか。
意外でしたが、この作品で初めて名のある映画賞(第19回ブルーリボン賞助演女優賞)を受賞したと聞いています。
また、大変驚かせたのが、国鉄(現在のJR)のフルムーン旅行のCMでの入浴シーンでした。
あの若々しい肌と大きなバストは必見です。