「国本武春」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「国本武春」の死に際とは?日本の人物

アメリカ帰りの浪曲師うなりやベベンこと「国本武春」の散り際とは?

この記事では国本武春の晩年と散り際について解説していきます。

「国本武春」とは?簡単に説明

一般的に現代の日本では浪曲に対する認知度は年輩の方が聞くものとされ、ましてや浪曲師の名前は殆ど知られていません。

そのなかで数少ない例外なのが国本氏だと言っていいでしょう。

別名義の「うなりやベベン」は親子で見る機会の多い『NHK Eテレ』の『にほんごであそぼ』によって若年層に多く名前を知られることになりました。

兼ねてから90年代半ばには『ポンキッキーズ』出演。

「間違えないでおくんなさい」でシングル曲を発売したこともあり、約10年間の親子世代に圧倒的に名前は認知されています。



「国本武春」の晩年

浪曲師の古典的番組『浪曲十八番』などNHKのテレビ・ラジオで活躍する一方で、活動の幅は多岐に及んでいました。

前述した『ポンキッキーズ』などの子供達に対する知育番組への出演はもとより、民放では大人、音楽を意識した番組へも出演。

ゲーム『サクラ大戦』をモチーフにした舞台、ひいては国民的人気を誇るアニメ『ONE PIECE』劇場版にスペシャルゲスト声優としての客演を果たすまでになっており、多忙な日々が続いていました。

その多忙な日々が禍となってか2010年12月には高熱を発して入院生活を送っています。

この時は1ヶ月で退院できたもの大きなダメージを肉体に残すことになりました。



「国本武春」の死に様

2015年12月24日4時頃に東京都江東区の入院先で逝去、55歳没。

死因は急性呼吸不全によるものでした。

脳内出血による闘病生活を続けていたもの約10日で力尽きています。

「国本武春」の死に様の信憑性

2010年に高熱を発し倒れた際には脳にまでウイルスが到達。

死亡率10%の重篤な感染性脳炎に罹患しており、後遺症として高次脳機能障害を起こしており、台本が覚えにくくなっていたとされます。

この時の脳炎との因果関係は不明であるもの脳出血しやすい状態になっていたのは間違いないでしょう。

また1公演30分にも渡り、独特の節と語りで声を張り上げる仕事を復帰後続けていたのも身体の負担になったのは言うまでもありません。

15年12月12日に公演のリハーサル中に脳出血を発症して倒れ緊急搬送されましたが、10年以降冬場になると体調不調に悩まされていたといいます。

まとめ

2015年12月24日朝方4時頃、東京都江東区の入院先で永眠。

55歳没。

死因は急性呼吸不全と発表されています。

同月の12日に公演のリハーサル中に脳出血を発症。

緊急搬送されましたが昏睡状態が続き、意識回復は叶いませんでした。

ちょうど5年前の10年12月に高熱から1ヶ月ほど入院加療を強いられていましたが、この時の病は思った以上に重篤な感染性脳炎だったことが明らかになっています。

命は取り留めたもの高次機能障害により記憶障害の後遺症が残ることになりました。

この時の脳炎との因果関係は不明です。

しかしわずか5ヶ月で復帰すると以降も精力的に活動を続けていました。

浪曲の性質上、独特の節と語りを三味線の音に負けぬ様に声を張り上げなければいけません。

自身の想像以上に身体に負担が掛かっていたのは間違いないといえます。

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