「細川俊之」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「細川俊之」の死に際とは?日本の人物

文学座出身の2枚目俳優として知られる細川俊之は、70歳で死亡しています。

今回は、舞台や映画などで長らく活躍してきた彼の死因について解説します。

「細川俊之」とは?簡単に説明

昭和15年に現在の福岡県北九州市で生まれた細川俊之は、舞台や映画、テレビドラマなどで活躍した俳優として知られる人物です。

学習院大学の演劇部に所属していた細川は、大学を中退して俳優座養成所の第13期生になり、同養成所を卒業後には文学座の研究生として活動を開始します。

舞台を中心に活動を続け、クールな2枚目俳優としての地位を確立していった細川は、その後、人気アニメ「あしたのジョー(劇場版)」の力石徹役の声優を務め、ミュージカル「ショーガール」では女優である木の実ナナと共演し、15年間に及ぶロングラン公演を支え続けます。

また、ラジオ番組「ワールド・オブ・エレガンス」では、独特な語り口とダンディな美声を駆使し、17年を超える長寿番組としてファンに愛され続けていましたが、平成23年に急性硬膜下血腫により70歳で死去しています。



「細川俊之」の死に様

平成23年1月12日、細川俊之は東京都内にある自宅のリビングで転倒した際に頭部を強打してしまったことで病院に緊急搬送されますが、病院に到着した際にはすでに意識はなく昏睡状態でした。

搬送後、すぐに延命治療が施されたものの意識が回復することはなく、家族に看取られてそのまま亡くなってしまいます。

細川本人が生前、大学病院への検体を自ら申し出ていたため、通夜や葬儀は行われずに遺体は病院に移送され、1年間に渡る検体後に遺骨は家族の元に戻ってきたそうです。

生前からの細川本人の強い希望により、遺体は大学の医学部や歯学部で行われる人体解剖学実習の教材として、無条件かつ無報酬で提供されています。



「細川俊之」の死に様の信憑性

平成6年にけいれん発作重積症を罹患したことで舞台「ラ・カージュ・オ・フォール」を降板した細川俊之は、続く翌年には糖尿病を悪化させて入院することになり、映画「ゴジラvsデストロイア」も降板せざるを得なくなってしまいます。

さらに同年、脳出血を発症してしまったことで、俳優活動を減らしていた細川でしたが、長引く闘病生活によりその後芸能事務所からも退所しています。

芸能活動から一線を引き、平成16年ごろからは大阪芸術大学の芸術学部舞台芸術学科演出コースの教授に就任し、教鞭をふるいますが、自宅で発生したアクシデントがきっかけで急性硬膜下血腫により死去しています。

「細川俊之」の小ネタ等

文学座の研究生時代には、同じく後に俳優として成功する石立鉄男らとしのぎを削っていた細川俊之は、常に冷静でクールな2枚目俳優として認知されていきますが、人気テレビドラマ「ムー一族」では、共演者のたこ八郎とのコミカルな掛け合いが大きな話題となりました。

まとめ

ダンディでクールな2枚目俳優として知られる細川俊之は、70歳で亡くなっています。

細身で紳士的な佇まいと一度聴いたら忘れがたい渋い美声により、数多くのファンを虜にしてきた彼の功績は現代の舞台や映画でも生き続けています。

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