「貴ノ浪貞博」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「貴ノ浪貞博」の死に際とは?日本の人物

大相撲の若貴時代に大関として活躍した貴ノ浪は43歳と言う若さで亡くなっています。

今回は、幕内最高優勝2回、生涯成績通算777勝を挙げた名大関である彼の死因に迫ります。

「貴ノ浪貞博」とは?簡単に説明

昭和46年に青森県三沢市で生まれた貴ノ浪貞博こと浪岡貞博(なみおかただひろ)は、大相撲の若貴時代に長らく名大関として活躍した力士です。

青森県の中学校を卒業後、すぐに相撲部屋に入門した貴ノ浪は、後に第67代横綱になる終生のライバルともいえる武蔵丸光洋と同時期に新入幕を果たしており、その時期からお互いにしのぎを削っていくことになります。

この時期の二子山部屋には貴ノ浪に加えて、後に兄弟横綱となる貴乃花光司や若乃花勝の2大関もおり、そのライバルに曙や武蔵丸がいたことで大相撲黄金期を迎えていました。

その後、平成16年に引退した貴ノ浪は、親方として相撲界に関わり続けますが、平成27年6月20日、急性心不全により43歳という若さで亡くなっています。



「貴ノ浪貞博」の死に様

平成27年6月20日、貴ノ浪は滞在していた大阪市内のホテルにて急性心不全により亡くなっています。

平成18年の初場所終了後に体調を崩した貴ノ浪は、心房細動や敗血症、肺炎などを併発してしまったため緊急入院することになり、入院後、一時は心停止状態に陥ってしまいますが、奇跡的に回復したため退院し、相撲解説者などとして復帰することになります。

しかしながら、平成26年頃から再び体調が悪化し始めたため、受診すると胃がんと診断されてしまい、すぐに手術を受けて休養生活に入っていきます。

この時期、入退院を繰り返しながら療養生活を送っていた貴ノ浪でしたが、知人女性と共に滞在していたホテルにて、急性心不全を発症してしまいそのまま死亡しています。



「貴ノ浪貞博」の死に様の信憑性

平成27年6月20日、当時妻帯者だった貴ノ浪は、付き合っていた別の女性と共に大阪豊中市にあるラブホテルにチェックインしています。

その当時、高血圧症や高脂血症などの持病を抱えていた貴ノ浪は、引退したとはいえ、現役時代さながらの巨体を誇りその大きな体躯により、常に身体にも負担がかかっているような状態でした。

この日、ホテルの一室で知人女性と2人きりになった貴ノ浪は、いつものようにコトに及んでいる最中に突如体調を崩し、そのまま腹上死してしまったという報道がマスコミを賑わせました。

この当時の貴ノ浪は持病の心臓病だけではなく、胃がんを罹患していたことですでに身体は衰弱してしまっており、極度の興奮状態に心臓が耐えられなかったのではないか。

という担当医師からの証言が残されています。

「貴ノ浪貞博」の小ネタ等

貴ノ浪の身長は公称196cmでしたが、実際は2mを超えていたと言います。

あまりにも大きいと怪物じみていて嫌だったことから、小さくサバを読んでいたそうですが、舞の海を始め、身長が足りなくて大きめにサバを読んでいた力士は比較的普通でしたが、逆に小さめに公表していたのは異例のことでした。

まとめ

大相撲黄金期ともいえる若貴時代に活躍した名大関貴ノ浪は43歳で亡くなっています。

その死因は愛人との情事中における腹上死と囁かれていますが、彼の大きな身体から繰り出す長い手足と深い懐により、多くの力士を退けてきた勇敢な取り口は、現代の相撲界においても輝き続けています。

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