エネミー・ゼロ事件が運気を下げた?飯野賢治の死に際とは?
この記事では飯野賢治の晩年と死に際について解説していきます。
「飯野賢治」とは?簡単に説明
『Dの食卓』で一躍時代の寵児となり、当時ゲーム雑誌だけではなくビジネス誌でも特集記事が組まれていたのを覚えている方は多いものと思われます。
次作『風のリグレット』も商業的に成功、飛ぶ鳥を墜とす勢いでした。
世間の波紋を呼んだ『エネミー・ゼロ』事件が勃発。
同作はインタラクティブムービーを売り物にしていたもの、肝心のゲーム内容がいまいち。
ゲーム雑誌での評価は良好なもの、実際のプレイヤーからクソゲーとして扱われる事になりました。
同作があらゆる意味でのけちの付き始めになった感は否めません。
「飯野賢治」の晩年
セガがゲームのハード業界から撤退、プレステ1人勝ちの状況下。
PSEと前述したエネミー・ゼロ事件で絶縁状態になっていたため、大きな痛手となったのは間違いないでしょう。
また同作でムービーは美麗であるが、肝心のゲーム性が…というイメージがついてしまったのも痛手になります。
2000年に新会社『スーパーワープ』を設立しますが、業務は多岐に渡るも完全に迷走した感は否めません。
しかし08年に名作『moon』を送り出した「西健一」との共同開発でリリースされた『newtonica』が久々のヒット作品となりました。
表舞台に立つ機会は激減したもの捲土重来を予感させています。
「飯野賢治」の死に様
2013年2月20日21時42分に東京都内の自宅にて死去。
42歳没。
死因は高血圧性心不全でした。
「飯野賢治」の死に様の信憑性
マスメディアに良く登場していた90年代後半の映像を見れば、過度の肥満体で顎がない状態だったと言えるでしょう。
しかし亡くなった当時前後の記録を見ていただければわかる通り、かなり体重が落ちている事がわかります。
肥満による高血圧対策に体重を絞るため、糖質制限ダイエットに取り組んでいたことが明らかにされました。
しかし心肥大や動脈硬化は進行が進んでしまえば元には戻りません。
20代半ばからの不摂生が高血圧性心不全を引き起こした要因だと言えるでしょう。
まとめ
2013年2月20日21時42分東京都内の自宅にて死亡。
42歳の若さでした。
死因は高血圧性心不全によるものでした。
直近こそ痩せた姿を見せていたもの、それは当時の直近の話。
20代から30代半ばまでは過度の肥満と言っていい体型でした。
若い頃の不摂生に加え、不規則な生活により体にダメージが蓄積されていったと言っていいでしょう。