「萩原流行(はぎわらながれ)」とは?
萩原流行の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「萩原流行」とは?簡単に説明
テンガロンハットが似合う個性派俳優の萩原流行。
名前は「流行」と書いて「ながれ」と読みます。
1982年の映画「蒲田行進曲」の出演で注目を浴び、以後、多くの映画やテレビドラマに出演し、悪役や暴力団員などあくの強い役どころが得意の俳優でした。
「萩原流行」の晩年
萩原流行と結婚した後、元女優のまゆ美夫人は専業主婦として萩原の俳優活動を支えますが、萩原の女性問題などによりうつ病を発症します。
逆にまゆ美夫人を献身的に支える萩原でしたが、また女性問題を起こし、それが原因でまゆ美夫人の自殺未遂騒動も起きてしまいます。
そんな中、萩原もうつ病を発症し、晩年は夫婦でうつ病との闘いが続くことになります。
「萩原流行」の死に様
萩原流行は2015年4月22日午後6時過ぎ頃、青梅街道を愛車の大型バイク(ハーレーダビッドソン883cc)で新宿方面に向かって走行中に転倒し、東京都杉並区高円寺南あたりで突然左車線から中央車線に車線変更してきたワンボックスカーの護送車と接触します。
その勢いで萩原は右車線に投げ出され、そこにやってきた後続の乗用車によって轢かれるのです。
この時、萩原は胸部を強打し救急搬送されますが、約1時間半後の午後7時26分に搬送先の病院で心房破裂のため死亡します。
本人確認は駆け付けた妻のまゆ美夫人が行なっています。
62歳でした。
「萩原流行」の死に様の信憑性
車線変更して萩原のバイクに接触したワンボックスカーの護送車は警視庁の男性警部補が運転していました。
警部補の供述によると、護送車はウィンカーを出して車線変更したとのこと、またライトを点灯していた萩原のバイクには気づいていたが、「(道を)譲ってくれるだろう」と思ったとも供述しています。
急に車線変更したのは護送車が走っていた左車線上に路上駐車していた車があり、それを避けようとしたためのようです。
この供述に対して、同年9月になってやっと警視庁は、護送車が車線変更する際に後方確認が不十分だったと断定し、警部補も車線変更が事故の一因だったことを認める話をしています。
事故発生から5か月経ってやっと警察は過失を認めたのです。
なお、事故当時は雨が降っており、夕方6時過ぎということで辺りは暗くなていたと思われ、見通しは悪い状態だったことが推測されます。
また、後続の目撃者の話によるとバイクはふらふらと揺れながら右側に倒れて火花を出して滑っていったそうです。
さらに謎とされているのが、萩原は今回の事故を含めこの2年間に自宅のある同区内で交通事故を4度も起こしているのです。
萩原は近年、妻のまゆ美夫人とともにうつ病であり、ともに闘病治療していることを公表していましたが、このうつ病の薬の原因ではないかとも話題になりましたが関係性は不明です。
まとめ
萩原流行は2015年4月22日午後7時26分に亡くなっています。
死因はバイク転倒事故での胸部殴打による心房破裂です。