X JAPANのギタリストである松本秀人の死因とは?
「松本秀人」とは?簡単に説明
昭和39年に神奈川県横須賀市で生まれたhide(ヒデ)こと松本秀人は、ヴィジュアル系ロックバンドであるX JAPAN(エックスジャパン)のギタリストでした。
X JAPANでの活動に加えて、同じくヴィジュアル系ロックバンドであるLUNA SEA(ルナシー)のJ(ジェイ)などと共に別名義で活動したり、ソロミュージシャンとしても活躍している音楽家でもありました。
昭和57年に結成された人気バンドであるX(エックス)は、日本有線大賞新人賞や日本ゴールドディスク大賞などの数多くの賞を受賞して、NHK紅白歌合戦にも出場していますが、平成9年に創設メンバーであるTOSHIが脱退したことにより解散しています。
hideはバンドの解散後も主にソロで音楽活動を続けていましたが、解散した翌年の平成10年5月2日、自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見され、病院に搬送されますがそのまま死亡しています。
バンドの解散からわずか1年後に33年間の生涯に幕を閉じたhideでしたが、発見された室内からは遺書は発見されず、争った形跡のない室内の状況から自殺と断定されています。
「松本秀人」の死に様
平成10年5月2日、hideこと松本秀人は自宅の室内にてドアノブにタオルをかけて首を吊った状態で発見されています。
発見したのは当時付き合っていた同居人である交際相手の女性で、彼女が発見した時にはhideは既に意識不明の状態だったそうです。
死亡した日の前日、hideはフジテレビの音楽番組である「ロケットパンチ!」の収録を行い、その番組の打ち上げの宴会に参加した後、さらに関係者などと飲み明かして泥酔するほど飲み続けていたという証言があります。
そして夜明け前にhideは当時のマネージャーだった弟の裕士が運転する車で自宅マンションまで送迎されていますが、同日の朝7時30分頃、首を吊った状態で同居人から発見されています。
「松本秀人」の死に様の信憑性
松本秀人の死は警察により事件性のない自殺と断定されましたが、関係者や友人などからはhideは自殺をするような人間ではなく、生前も自殺を仄めかすような発言や態度はまったくなかったという証言がありました。
また、ドアノブにかけられていたタオルがとても柔らかいタオルだったこともあり、もし自殺するなら固めの伸びにくいタオルを使用するはずだという考察なども浮かび上がり、数日前に都内のスタジオ建設予定地の仮契約をしていたことも手伝って、自殺ではないのではないかという声が少なくありませんでした。
さらにマネージャーである弟の裕士は、生前のhideは、ひどい肩こりと偏頭痛に悩まされており、整骨医に教えてもらった首の牽引によるストレッチを自分で良く行っていたと言います。
そして死亡当日も海外から帰国した直後の時差ボケに加えて、泥酔状態が重なった状態で同じように首を伸ばそうとしたものの失敗してしまったのではないか?というコメントを公表しています。
また、その後出版された「hide 真実のストーリー」においては、コンサートで行われる予定であった首吊り自殺の演出の練習を泥酔状態で行ってしまったために誤って死んでしまったと書き記されています。
「松本秀人」の小ネタ等
松本秀人の死後、人気バンドXジャパンの熱狂的なファンによる後追い自殺の報道が相次ぎました。
非公式な発表ではあるものの、その数は合計60人にもおよぶという報道があり、ファンの後追い自殺人数の悲しい最高記録になってしまったそうです。
まとめ
松本秀人が遺してくれた数多くの音楽作品は、これからもたくさんの人を元気づけ、多くの人々を救ってほしいと願うばかりです。