この記事では、「氷室冴子」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「氷室冴子」とは?
氷室冴子とは、集英コバルト文庫で活躍した少女小説家です。
北海道出身で、大学在学中に小説ジュニア青春小説新人賞に応募し佳作となります。
その時の応募作が「さようならアルルカン」で、作家としてのデビュー作となりました。
雑誌「小説コバルト」に「ざ・ちぇんじ!」や「なんて素敵にジャパネスク」等の作品を発表し女の子から絶大な支持を得ます。
どちらも平安時代の宮廷を舞台にした小説です。
「氷室冴子」の晩年
氷室冴子は集英コバルト文庫の作家として長年活躍しましたが、晩年は活動の幅を広げていました。
徳間書店のアニメ雑誌「アニメージュ」にも連載しています。
「海がきこえる」という小説で、土佐・高知を舞台に高校生の男女の青春を描いた物語です。
「海がきこえる」は、スタジオジブリでアニメ映画化もされています。
その後、実写化もされました。
1990年代に入ってからは、目立った執筆活動は行っていませんでした。
体調を崩していたという話もあります。
また、漫画賞の選考委員などを務めていました。
2001年には雑誌の取材で斎宮歴史博物館を訪れたこともあります。
氷室冴子の代表作といえば平安時代を舞台にした「なんて素敵にジャパネスク」ですが、平安時代の斎宮を舞台にした新しい小説はどうかと学芸員との対談で盛り上がったといいます。
しかし、新作が出版されることはありませんでした。
「氷室冴子」の死に様
氷室冴子は、2008年6月6日に亡くなりました。
死因は肺がんです。
享年51でした。
翌年、親交のあった田中二郎教授の縁で日本橋学館大学「氷室さんを偲ぶ一日」が開催されています。
「氷室冴子の世界 〜寄贈本と思い出の品〜」という展示企画も行われました。
「氷室冴子」の死に様の信憑性
氷室冴子の死因は肺がんですが、肺がんの発症リスクを高める要因の1つに喫煙があります。
氷室冴子はヘビースモーカーだったという噂もあり、それが事実とすれば肺がんに影響したことも考えられます。
また、2000年代には肺がんであることが判明し、終活にも自ら取り組んでいたともいいます。
まとめ
氷室冴子は晩年、執筆活動はほとんど行っていませんでした。
漫画賞の選考委員などは行っています。
肺がんを患っており、闘病生活を送りながら終活にも取り組んでいました。
そして、51歳で亡くなっています。