この記事では、「近衛十四郎」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「近衛十四郎」とは?
近衛十四郎とは、時代劇で活躍した俳優です。
同じく俳優の松方弘樹と目黒祐樹の父親としても知られています。
1934年に「叫ぶ荒神山」で、映画初主演を果たしました。
第二次世界大戦中は従軍したこともあり、戦後に映画界に復帰します。
迫力のある殺陣で人気となり、「柳生武芸帳」シリーズでは主役を演じています。
その後、活動の場をテレビに移し、「素浪人」シリーズで人気となりました。
映画や舞台にも出演しています。
「近衛十四郎」の晩年
近衛十四郎の晩年の作品には、映画「座頭市血煙り街道」があります。
主演の勝新太郎に要請を受け出演した作品で、勝新太郎との迫力ある殺陣シーンが話題となりました。
しかし、その後は体力の低下もあって芸能界から離れた生活を送るようになります。
モーテルやトルコ風呂、釣り堀等を経営しており、実業家として晩年を過ごしています。
また、釣りが趣味で晩年は釣り三昧の生活を送っていたといいます。
息子の松方弘樹も大の釣り好きで、松方と共同出資で釣り堀「天国」を京都の山林の中に作りました。
「近衛十四郎」の死に様
近衛十四郎は、1977年5月24日に亡くなりました。
その数日前に、息子の松方弘樹と釣り堀で釣りを楽しんでいたところ、倒れてしまったのです。
脳内出血でした。
一時的に意識を取り戻しますが、再び容体が悪化し意識が戻らないまま亡くなります。
享年63でした。
「近衛十四郎」の死に様の信憑性
近衛十四郎の死因は脳内出血ですが、影響したと考えられるのはお酒です。
脳内出血はアルコールの摂取量が増えるにつれて、発症率も高くなることが分かっています。
近衛十四郎は酒豪として知られ、昔からかなりのお酒を飲んでいました。
晩年は体調を崩したこともあり、医師から飲酒を控えるように言われていたといいます。
糖尿病や肝硬変、高血圧といった病気を抱えていました。
健康を気遣い節制したこともありましたが、妻の死をきっかけに再びお酒を飲むようになったといわれています。
妻は、近衛十四郎が亡くなる10カ月前に亡くなっていました。
まとめ
近衛十四郎は晩年、役者としては引退状態で釣りやお酒を楽しむ生活を送っていました。
息子である松方弘樹と釣りをしていた最中に倒れ、そのまま亡くなってしまいます。
死因は脳内出血でした。
享年63です。