計算された豪放磊落と破天荒?「勝新太郎」の晩年と最期とは?
この記事では「勝新太郎」の晩年と最期について解説します。
「勝新太郎」とは?簡単に説明
豪放磊落、破天荒なエピソードは数知れず、それでも「勝さんだから」で話が完結するほどのキャラクター性で愛されたのが「勝新太郎」だと言っていいでしょう。
映画俳優として活躍。
後にプロダクションを自ら起こし独立しますが、これが後年の波瀾万丈な人生に繋がっていったとも言えます。
代表作は『座頭市』で映画、テレビドラマでも人気を博しました。
妻は女優の「中村玉緒」。
勝の人生を支えるとともに、彼が作った莫大な借金を彼女が返済したことでも有名です。
「勝新太郎」の晩年
「パンツはもうはかない」この言葉が勝新太郎の晩年を象徴するものになりました。
これは1990年にハワイでマリファナとコカインの不法所持で逮捕された時の迷言。
これを当時「ビートたけし」が笑いのオチとして使ったこともあり、大きく広まりました。
晩年は映画、テレビからは遠ざかります。
年配層からは演技力とそのキャラクター性で根強い人気があった一方で若年層からはトラブルメーカーとしての印象の方が強くなっていたのも事実でしょう。
「勝新太郎」の死に様
1997年6月21日午前5時54分千葉県柏市の国立がんセンター東病院でその生涯を終えています。
65歳没。
死因は下咽頭がんでした。
既に数日間危篤状態が続いており、日付が変わった21日未明から容態が急変し、最期の時を迎えました。
ほぼ1年前の96年7月に下咽頭がんが発覚。
手術はせずに抗ガン剤と放射線治療を実施、四ヶ月後に退院。
97年1月に再入院した際には肺炎で命が危ぶまれたもの回復、3月には退院しています。
しかしがん発覚から三度目の入院で力尽きることとなりました。
「勝新太郎」の死に様の信憑性
妻である「中村玉緒」氏は基本的には闘病生活中は多くのことを語りませんでした。
実際に闘病生活中の話が公になったのは亡くなってからであり、息子である「鴈龍太郎」氏とともに回想する形で闘病生活が明らかになっています。
一度目の退院時のパフォーマンスが演技だったことや二度目の入院時には喀血後、数日間昏睡状態に陥り、危険な状態が続いていたことも明らかにされました。
まとめ
「勝新太郎」は数日間危篤状態が続いた後1997年6月21日未明に容態が急変。
午前5時54分に帰らぬ人になりました。
65歳没。
死因は下咽頭がんでした。
俳優の命である声を重要視し、保存療法を選択。
放射線治療と抗がん剤治療を行うも寛解には至りませんでした。
奇しくも同時代の映画スターでライバルでもあった「萬屋錦之介」も同時期に同病院で同じ病で闘病生活を送っています。
勝とは逆に根治療法を選択。
舌の付け根から癌を切除しましたが、勝より三ヶ月前に死去しています。