太平洋上の島で倒れた?
「原田治」の散り際とは?
この記事では原田治の晩年と散り際について解説していきます。
「原田治」とは?簡単に説明
彼の名前は知らなくても『カルビー・ポテトチップス』の「ポテト坊や」や『ミスタードーナツ』の「JACK&JILL」は知らない方はまずいないと思われます。
80〜90年代のティーン層に熱烈な支持を受けており、特にミスタードーナツでは利用することで貰えるノベルティグッズは大人気でした。
また40歳を手前に太平洋の島にアトリエを建設。
島に移住したことが当時話題を呼んでいます。
「原田治」の晩年
2016年の夏は東京都文京区の弥生美術展にて『オサムグッズの原田治展』を開催しています。
7月1日から9月25日までのロングランになりました。
開催期間中には7月2日と9月22日に自身も久々というサイン会とトークショーを実施しています。
グッズ生誕40周年の節目の年に加え、夏休み期間中。
このため親子二世代、三世代に渡るファンの来館で盛況だったとされます。
同9月には宝島社から『 Osamu Goods Catalog 』を出版。
10月頭には12月に発売予定の拙著『 ぼくの美術ノート』の前書きを行うなどオサムグッズ生誕40周年らしい精力的な活動を続けていました。
「原田治」の死に様
2016年11月24日に死去。
70歳没。
私生活はブログで時折垣間見ることができましたが、家族の存在も含めて未公表の部分も多く、死因も公表されていません。
「原田治」の死に様の信憑性
死に際に関する詳細は今のところ一切公表されていません。
ただ原田氏のブログは2016年11月19日の更新が最後となっていますが、通常の更新だったと言っていいでしょう。
その内容はアメリカの形のクッションとお気に入りの歌手「タミー・ウィネット」を紹介したものでした。
遡って10日のブログではアトリエに大型暖房機の取り付け工事並びにメンテナンス工事を行って、心機一転を宣言。
同じく4日には島の美味しいパン屋の紹介をしており、焼きたてパンを“自分”で買いにいくと記載がされています。
これらを考慮した場合、健康状態も悪くなく闘病生活を送っていたようには思えません。
心疾患か脳疾患による急死だったのではないかと推測されます。
同年10月31日のブログでは高校の同窓会に出席したことを報告。
鬼籍に入った同級生が約10パーセント、45人前後いたそうです。
まだ70歳だったとはいえ、年齢的に突然の体調不良があっても不思議ではなかったのかもしれません。
また39歳の時に東京へ船で通える範囲の島に移住しています。
ただしアトリエを建てた場所は、その島の人が驚かれる場所だと自身がブログで告白。
実際にグーグルアースでアトリエを掲載していますが、緑に囲まれた山の上にありました。
不慮の事態が起きても、同居人がいないと気づかれるのは遅れるのは確実。
同居人がいても島での治療は処置も限定的になるため、厳しいものがあった様に思えます。
まとめ
2016年11月24日に死去。
頻繁に東京都心とアトリエのある島を往復しており、どこで死亡したのかはわかっていません。
晩年は島で年の半分を過ごしていたとされます。
最後のブログ更新となった19日はアトリエにいたと思われ、24日も島で亡くなった可能性が高いと言えるでしょう。
70歳没。
2016年はオサムグッズ40周年イベントを開催しており、精力的に活動中でした。