男たちの大和・ラーゲリより愛を込めて「辺見じゅん」の散り際とは?
この記事では辺見じゅんの晩年と散り際について解説していきます。
「辺見じゅん」とは?簡単に説明
作家であるとともに「角川春樹」「角川歴彦」両氏の実姉として有名でしょう。
作家としての代表作は「男たちの大和」は2005年に太平洋戦争終戦60周年を記念して映画化。
主演「反町隆史」主題歌「長渕剛」両氏が起用されて話題を呼んだことはいまだに記憶に新しい人が多いのではないでしょうか。
父親の病床で聞いた戦争体験から深く切り込んでいった戦時の人間群像作品が近年はクローズアップされがちですが、歌人としても有名。
また童謡も手掛けるなど、その活動には幅広いものがありました。
「辺見じゅん」の晩年
2002年に有限会社『幻戯書房』を設立し代表者として舵取りをきることになりました。
父親の「角川源義」氏由来の名称、出版理念を具現化するための船出となりました。
最晩年には自身の出生地である富山県で活動を展開。
08年に富山市で歌誌『弦』を創刊。
また今春から俳優の室井滋氏が館長を務めることで話題を集めた富山県立『高志の国文学館』の初代館長に就任内定したのは2010年のことでした。
しかし年齢的に古希を越えたこともあり、体調不良にしばしば見まわれるようになります。
「辺見じゅん」の死に様
2011年9月21日朝、東京都武蔵野市にある自宅にて倒れた姿で発見されています。
72歳没。
死因などの詳細については公表されませんでした。
「辺見じゅん」の死に様の信憑性
その急逝が報じられたのは翌日22日午前中のことでした。
昨今体調を崩していたと報じられ、朝自宅で倒れていた状態で発見されたこと以外の詳細については報じられていません。
このため新聞各紙も“病死と思われる”推測の表現を使っています。
彼女の死因が報じられているほとんど唯一の文書は富山教育記念館の館報によるもの。
没後3年経過した2014年10月の館報No. 83によれば脳出血で急逝したと記載がありました。
まとめ
2011年9月21日朝、自宅で倒れた姿で発見。
そのまま帰らぬ人になりました。
72歳没。
その死についてはほとんど公表されていません。
近年体調を崩していたこと、葬儀は近親者のみで行うことが翌22日に報じられました。
死因についてもほとんどわかっておらず“病死と思われる”と推測の表記がある程度。
倒れて発見され、死亡した事実しか報じられることはありませんでした。
死因が報じられている数少ない文書が出生地である富山県の記念教育館の館報になります。
2014年10月発行のNo. 83に辺見氏の記事が記載。
そのなかで脳出血で亡くなったと触れられています。