尚泰王は、最後の琉球国王として知られる人物です。
尚泰王の晩年と最期がどのようなものだったのかを紹介します。
尚泰王とは?
尚泰王は、琉球王国の第18代国王だった尚育王の次男として誕生します。
兄は早世し、父も34歳という若さで亡くなったので、尚泰王は4歳で即位しました。
即位から5年後にペリーが琉球に来航した時には、琉米修好条約を結んでいます。
それからフランスとは琉仏修好条約、オランダとは琉蘭修好条約を締結しました。
1872年に尚泰王は、日本の明治政府によって琉球藩王となりました。
そして、1879年に琉球藩に沖縄県が置かれ、尚泰王は琉球藩王の地位を失います。
尚泰王の晩年
尚泰王は、琉球藩に沖縄県が設置されたことで琉球藩王ではなくなりました。
これは琉球処分と呼ばれており、琉球王国が消滅したことを意味しています。
アメリカやフランス、オランダと締結した条約も琉球王国の消滅によって失効することとなりました。
尚泰王とその家族は首里城に住んでいましたが、藩王の地位を失ったことで首里城を出なければいけなくなります。
琉球王家が所有していた屋敷の一つに移るのですが、明治政府から東京へ来るように求められ家族と共に東京に移住しました。
琉球藩王となった時にすでに華族として遇されており、東京に屋敷を与えられています。
華族令が発令されると、尚泰王は侯爵に叙せられました。
それ以降は亡くなるまで東京の麹町にある屋敷で過ごしています。
衣食住には不自由のない生活ではありましたが、事実上の幽閉生活だっただろうと考えられます。
沖縄に帰ることは許されませんでした。
尚泰王の最期
尚泰王は、1901年にに病死しています。
その死因は、細菌に感染することで発症するカタル性腸炎だったと言われています。
享年59でした。
尚泰王の亡骸は沖縄に送られ、琉球王家の陵墓である玉陵に葬られました。
沖縄の地で古式に則った盛大な葬儀が行われたと言います。
亡くなったことでやっと故郷である沖縄の地に帰ることができました。
尚泰王をめぐる逸話
尚泰王には、1人の妃と2人の夫人、妻が6人もいたといいます。
国王としてはさほど珍しいことではなかったのでしょう。
次々と子どもが生まれ、尚泰王は18人の子の父親でした。
東京に移住するように命じられた時には、妻子も一緒に移住しています。
尚泰王が亡くなった後には、沖縄に戻った子どもや孫もいたようです。
琉球王国とは?
琉球王国は1492年から琉球処分となる1879年まで琉球諸島に存在した王国です。
薩摩藩の琉球侵攻によって薩摩藩の附庸国となりました。
東南アジアとも交易があったため、日本や中国の影響も受けつつ独自の文化を築きました。
まとめ
尚泰王は琉球王国の王でしたが、琉球に沖縄県が設置されたことで王としての地位を失いました。
明治政府から東京に移住することを命じられ、東京で晩年を過ごします。
59歳で亡くなるまで、故郷に帰ることはできませんでした。