「大橋巨泉」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「大橋巨泉」の死に際とは?日本の人物

大橋巨泉の死因とは?

「大橋巨泉」とは?簡単に説明

昭和9年に現在の東京都墨田区で生まれた大橋巨泉こと大橋克巳は、テレビ司会者として活躍したマルチタレントです。

実業家や芸能プロモーターとしての顔もあり、自ら芸能事務所を開設して海外でお土産物屋さんなどを経営していました。

昭和30年代から昭和の末期にかけて「11PM」「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などの人気TV番組の司会者を務め、昭和40年代には実業家として活躍し始めた大橋は、その後競馬評論家などを経て昭和60年代にはセミリタイヤ状態に入っていきます。

このころから少しずつテレビの仕事から離れ始め、平成13年には政界に進出して6か月間議員としても活動していた大橋でしたが、平成17年に胃癌を患って摘出手術を受けています。

この手術は成功したものの、その後もがんの転移などに苦しみ、平成28年に82歳で亡くなっています。



「大橋巨泉」の死に様

大橋巨泉はがんが原因で平成28年に亡くなりましたが、最初にがんと診断されたのは平成17年のことでした。

最初は胃にがんを患い、医師から余命3年と宣告されていましたが、胃の半分を摘出したことで生還を果たしています。

そして8年後の平成25年には中咽頭がんを患い、診断時にはステージ4だったものの、腫瘍を摘出する手術を受けて成功していますが、さらに翌年には肺と食道の間にあるリンパ節に腫瘍が見つかってしまいます。

続く平成27年には肺癌やリンパ節の腫瘍摘出手術を受け、これも成功していますが、翌年には左の鼻腔内にがんの転移が認められてしまい、最終的に合計30回にもおよぶ放射線治療を受けていたと言います。

そしてついに平成28年7月12日、がんが引き起こした急性呼吸不全により82年間の生涯に幕を下ろしています。



「大橋巨泉」の死に様の信憑性

大橋巨泉が亡くなるまでの最期の3ヶ月間は、身体に投与されたモルヒネの成分が体内から抜け切ることはなかったそうです。

合計5回にもおよぶ手術と80回を超える放射線治療を受け続けた大橋は、最後のがんが見つかってからは外科手術をすることを諦め、抗がん剤と放射線での治療に切り替えていました。

その後在宅治療に専念していた大橋でしたが、当時担当していた在宅治療医からの「どこで死にたいですか?」という何気ない問いかけに絶望し、この一言によって生きる気力を奪われてしまったと言います。

がん患者に対して、思い残すことのないよう希望を叶えてあげようとした医師からの好意の一言でしたが、この言葉が大橋に与えたダメージは計り知れず、さらにモルヒネの誤投与も重なって著しく体調を悪化させていったのでした。

「大橋巨泉」の小ネタ等

晩年はオーストラリアやニュージーランド、カナダなどを転々としながら出稼ぎタレントのパイオニアと称されていた大橋巨泉は、セミリタイヤの星とも呼ばれ多くの人々が羨むような悠々自適な生活を送っていました。

仕事がある時は日本で暮らし、それ以外は気候の良い海外の場所を転々とするその暮らしぶりは、現在のノマドワーカーの走りと言っても過言ではないでしょう。

まとめ

83歳で亡くなったTV界の重鎮である大橋巨泉は、シニア世代の憧れともいえる悠々自適な生活の見本を示してくれた稀有なTV業界人といえるでしょう。

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