「阿久悠」とならぶ昭和歌謡の二大巨頭「平尾昌晃」の死に様とは?
この記事では平尾昌晃の晩年と死に様について解説していきます。
「平尾昌晃」とは?簡単に説明
60年代前半日劇ウエスタンカーニバルで爆発的な人気を誇った『ロカビリー三人男』の一人。
当時の人気の凄まじさは「加藤茶」「小野ヤスシ」両氏曰く自分達の演奏時が客にとっての休憩・WCタイムだったと自嘲するほど。
しかしロカビリーブームが去ると、苦心の末作曲家へと転身しています。
結核に身体を冒されるもなんとか復帰。
その後はヒットメーカーとしての地位を確立していきました。
代表曲は「夜空」「瀬戸の花嫁」「うそ」、アニメ銀河鉄道999の主題歌など多数挙げることができるでしょう。
「平尾昌晃」の晩年
同じ1937年に生まれたライバルの「阿久悠」氏が2007年に没。
名誉職や勲章授与されるなど表舞台にたつことは少なくなっていました。
そんななか2013年には『昭和歌謡1945?1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人』を出版。
自身の作曲した昭和の名曲を振り返っています。
若い頃の肺結核の影響から慢性的に体調の悪さが続いていましたが、なにか感じ取るものがあったのかもしれません。
翌14年からは立て続けに病魔に襲われることになってしまうのでした。
「平尾昌晃」の死に様
2017年7月21日23時40分、東京都内の入院先で死去。
79歳没。
死因は肺炎によるものでした。
2016年に3度目の結婚をしており、夫人に看取られて眠りにつれせいています。
「平尾昌晃」の死に様の信憑性
三男の「平尾勇気」氏が歌手であり、没後に会見も行っていますので信憑性は高いといえるでしょう。
15年1月に原発性肺高血圧症で危篤状態に陥るも奇跡的に回復しています。
しかし同年に肺癌が発覚。
年齢を考慮して手術はしない選択を取っています。
昭和歌謡、懐メロ番組に度々出演していますが、この時点では年齢相応の痩せ方で病的な痩せ方ではありませんでした。
体調が悪化の様相を呈したのは17年に入ってからのことです。
5月に肺炎で入院することになりましたが、この時も回復しています。
肺癌ではありましたが、悪いなりの小康状態を保っていたと言えるでしょう。
同年7月に体調を崩した時も外来での受診が示す通り、深刻なものではありませんでした。
しかし数日後に体調が悪化し入院。
肺炎の疑いで痰の吸引などの処置はしなければならないもの、意識はしっかりありテレビを視聴する程度の体調の余裕はあったそうです。
容態が急変したのは21日の深夜未明。
そのまた持ち直すことができずに約20時間後に亡くなってしまいました。
まとめ
2017年7月21日23時40分、都内の入院先で永眠。
79歳没。
死因は肺炎ですが、30代で肺結核に罹患。
その時に肺の部分切除と肋骨6本摘出しています。
以降肺疾患に慢性的に悩まされていたそうです。
15年1月にも肺炎で危篤状態に陥るも奇跡的に回復しています。
また高齢での結婚ではお約束ともいえる相続争いが発生。
没後に晩節を汚した形となりました。