クラシック・アニメ・特撮・ドラマ、キラ星の如く名曲を生み出した「羽田健太郎」の散り際とは?
この記事では羽田健太郎の晩年と散り際について解説していきます。
「羽田健太郎」とは?簡単に説明
番組のジャンルを問わず印象的な音楽を多々作曲。
サントラが発売されているレベルの人気作品も多く『西部警察』『渡る世間は鬼ばかり』に代表される時代を彩ったドラマばかり。
またアニメでは『超時空要塞マクロス』が特に有名でしょう。
劇中歌『わたしの彼はパイロット』など多くの曲が後年の作品に引き継がれています。
ゲーム音楽では『ウィザードリィ』シリーズ、ドラマ『砂の器』ではSMAPの「中居正広」氏演ずる天才ピアニスト和賀英良として代わりに『宿命』を奏でる等活動は多岐に渡り書き切れないほどです。
「羽田健太郎」の晩年
98年に発症した劇症肝炎で辛うじて命を取り留めると現場復帰を果たします。
しかし負った肝臓のダメージは大きく約7年後の05年10月に再入院することになってしまいました。
肝障害での入院と公表され、症状の進行が懸念されています。
それでもレギュラー番組であった『題名のない音楽会21』は意欲を見せ続投しています。
2007年は超時空要塞マクロス25周年。
かつて作曲した多くの曲がサントラコンプリートボックス化、販売されると同時にイベントも多く予定されていたはずでした。
しかし春先に体調を崩して入院。
題名のない音楽会も同時に降板したことで体調不良を多くのファンが心配することになりました。
「羽田健太郎」の死に様
2007年6月2日23時53分、東京都新宿区の入院先で永眠。
58歳没。
死因は肝細胞癌によるものでした。
「羽田健太郎」の死に様の信憑性
逝去する約10年前の1998年に劇症肝炎で死にかけたことを後に自身が笑い話として自嘲しています。
毒素が脳に周ると昏睡状態に陥り、ICUで10日近く治療を受けました。
98年の入院以降は酒を一滴も飲んでいない、節制ではなく身体がアルコールを受け付けなくなったと2001年に回顧。
しかしそれまでの酒量が祟ったのかもしれません。
アルコール性肝炎が肝硬変化し、肝細胞癌にジワジワと進行していくのは既知のとおりです。
倒れる前の羽田氏の日常は朝・寝覚めのビール、昼・麺類とビール、途中口にするのもビール。
昼下がりからは焼酎の炭酸割。
夕方まで飲み続け、焼酎のオンザロックに移行し1、9時には酩酊する日々を続けていたそうです。
一期一会のお客さんと相対する失敗できないプレッシャーから逃れるために痛飲していたとのことでした。
しかし実際には酒癖の悪さで失敗したエピソードを多数自身で披露しており、その2年ほどの痛飲はなかったにせよ常習的に過飲していたのは否めないと思われます。
まとめ
2007年6月2日23時53分に東京都新宿区の病院で永眠しています。
58歳没。
死因は肝細胞癌によるものでした。
大酒豪として元々知られており、98年末には劇症肝炎を起こして生死の狭間を彷徨っています。
99年の退院後から酒は一滴も飲んでいないことを明かしていましたが、じわじわと進行が進んでいたのは間違いありません。
05年10月の入院は肝障害と言われますが肝硬変が進んでいたと思われます。