おかみさーん時間ですよ!「森光子」の散り際とは?
この記事では森光子の晩年と散り際について解説します。
「森光子」とは?簡単に説明
国民栄誉賞を2009年に受賞した女優として良く知られているのが森光子氏だと言っていいでしょう。
「東山紀之」氏らジャニーズ事務所所属のアイドル達と親密な関係があった事で有名ですが、アイドル時代の「西城秀樹」氏が芸能界の母と呼ぶなど、面倒見の良さは四半世紀以上前から。
多くの芸能人を見守り続けてきた人物だと言えます。
そのイメージは代表作でもある『時間ですよ』のおかみさんそのものだと言っていいでしょう。
「森光子」の晩年
バラエティ番組で老いを防ぐために筋トレを日課にしていると語るとおり、テレビ、舞台に立ち続けました。
それでも老いによる体力の衰えは隠せなくなってきているのが事実でした。
自身は90歳を過ぎ健在なもの、周囲の関係者は病気で亡くなっていく現実もあります。
これらと向き合い、仕事、身辺整理を進めていたことが明らかになっています。
「森光子」の死に様
2012年11月10日18時37分に文京区の病院で永眠。
92歳没。
死因は肺炎による心不全だったと言います。
「森光子」の死に様の信憑性
亡くなったのは12年ですが、既に数年前から体調不安説は流れており、実際に生命の危機もあったと言われています。
加齢により台本の内容も覚えることは難しくなり、歩くのにも介助がいるほどでした。
これはライフワークともいえる『放浪記』の公演中止により明確なものとなりました。
その一方で闘病生活に関しては憶測なものが多く、その死については情報が錯綜しています。
既に11年には嚥下機能低下により、経口による栄養摂取が困難になっていました。
12年にはそれがさらに顕著化。
2月に誤嚥性肺炎を患った時には既に危篤状態にあったとも言われます。
その後胃ろう造設手術を行ったもの衰弱が進んでいったとされます。
12年9月中旬より体調が急激に悪化。
それでも闘病生活は最後まで隠し通したと言ってよく、情報が漏れてきたのは没後になってからのことでした。
まとめ
2012年11月10日18時37分に死亡。
92歳没。
死因は肺炎による心不全によるものでした。
08年前後から舞台などの現場でも加齢による体調不安は明白になっていきました。
記憶障害や体力の衰えによる衰弱は隠せないものとなり、09年紅白歌合戦の審査員、10年初頭の舞台以降は表舞台から姿を消しています。
一部報道では筋肉が落ちていく病気と報じられましたが、一年以上経口による栄養摂取ができない状態であるため、筋肉や体重の減少はやむを得ないと言えるでしょう。
肺炎による心不全が死因とされますが、加齢による衰弱、自然死と言って差し支えないはずです。