嫁にもぉーて「若井こずえ」の散り際とは?
この記事では若井こずえの晩年と散り際について解説していきます。
「若井こずえ」とは?簡単に説明
関西在住経験のある40歳以上の方ならば、その名前を聞いただけでパッとイメージができるほどの漫才師だと言っていいでしょう。
テレビのお笑い番組では見ない日がないほどの活躍を見せていました。
『若井こずえ・みどり』のボケ担当であり、代表的ギャグ「嫁にもぉーて」はあまりに有名。
売れない時間も長かったもの80年代に入り、実力派女性芸人として開花しています。
持ちネタに加え、現代では難しい毒舌・風刺ネタは秀逸そのものでした。
「若井こずえ」の晩年
師匠である『若井はんじ・けんじ』のけんじ氏が87年に交通事故死。
91年に相方の「みどり」氏が芸人ではなく会社社長と結婚。
この2つの彼女をとりまく環境が変化によってか、こずえ・みどりは四半世紀に渡るコンビを休止しています。
通説ではみどり氏が師匠との約束を反故に結婚したのが理由の1つと囁かれていますが、彼女の結婚式には参加しており交際も知っていたそうです。
コンビ休止後はピン芸人の道を歩むことになりました。
関西ローカルの深夜番組の司会を務めたり「島田珠代」「山田花子」両氏と出演した“わたし綺麗になりたーい”公共CMは当時話題を呼びました。
94年前後にヨガのインストラクターの資格をとることを決め、漫才をやめることを決意。
これにより表舞台での露出は減りました。
しかし自身の選んだヨガの指導者となり、人生を謳歌していたと言えるでしょう。
「若井こずえ」の死に様
1999年1月13日に大阪市内の病院で逝去。
51歳没。
死因はくも膜下出血によるもので約3週間の闘病生活の末に力尽きてしまいました。
「若井こずえ」の死に様の信憑性
1998年の年末の打ち上げパーティー会場で突然倒れたとされます。
しかし場所は繁華街であったこと、打ち上げの席で人が揃っていたことから速やかに緊急搬送と最善の処置がされたのは間違いありません。
しかし倒れた直後から既に意識はなく、最期まで回復することはありませんでした。
倒れて以降の闘病生活については公表がされていません。
まとめ
1999年1月13日に大阪市内の病院で永眠しています。
51歳没。
死因はくも膜下出血によるものでした。
98年年末の仕事の打ち上げパーティーで意識を失って倒れました。
打ち上げの席上で人がいたこと、場所が仕事場の近くで繁華街だったこともあり、速やかに病院へと緊急搬送されています。
しかし倒れた時から意識消失、搬送後も昏睡状態から回復することは叶わず力尽きてしまいました。
また倒れた後、約2週間に渡る闘病生活は詳細が公表されていません。
晩年は漫才師よりもヨガのインストラクターとして生きることを選択したため、表舞台からの露出が減ることになりました。
近年こずえ・みどりは解散は正式にしておらず、休止であったことがみどり氏の口から明らかになっています。