打倒ジャイアンツに野球人生を捧げた闘将・星野仙一の晩年と最期とは?
この記事では星野仙一の晩年と散り際について迫ります。
「星野仙一」とは?簡単に説明
元々は大の巨人ファンでありながらも、ドラフト会議での1位指名の約束を反故にされたことから、打倒ジャイアンツに執念を燃やした現役生活を送りました。
それは監督時代になってからも変わらず、1990年代における星野中日と王・長嶋巨人との対戦は禍根を遺す、凄まじい戦いを繰り広げています。
中日とは仲違いする形で今度は阪神の監督へと就任。
その後北京五輪監督へ就任するも結果は揮わず4位で逸メダル。
晩年は東北楽天ゴールデンイーグルスでも監督を務めることになりました。
「星野仙一」の晩年
楽天ゴールデンイーグルスで史上6人目のセ・パ両リーグでの最下位を経験した2014年、監督を辞任すると楽天球団のシニアアドバイザーへと就任。
翌年には球団取締役副会長へ就任することで、現場へは表立って登場する機会は減ることとなりました。
その後に公式の場で見かけることは2017年1月16日に同じ巨人キラーであった平松政次氏らとともに出席した野球殿堂顕彰者の場くらいとなっています。
同年末には東京と大阪で野球殿堂を祝う会を開催していますが、この時には顔色もよく、元気な姿を見せており、年明けの訃報には驚きを隠せない方も多かったことでしょう。
「星野仙一」の死に様
訃報が入ったのは年開けてすぐのことであり、2018年1月4日の午後。
ニュース速報でその死は知らされることとなりました。
12月頭には元気な姿を見せ、病気の素振りすら見せることはなかっただけに関係者、野球ファンは驚きを隠せなかったことでしょう。
2018年1月4日午前5時25分に次女が住む三重県津市で逝去しています。
満70歳没でした。
「星野仙一」の死に様の信憑性
難病である胸椎黄色靱帯骨化症と腰椎椎間板ヘルニアについては監督時代に公表されて休養したことから既知の方も多かったのですが、死因となった膵臓癌については全く寝耳に水だったと言えるでしょう。
それもそのはずで2016年7月に急性膵炎を発症した際に既に発覚していた膵臓癌ですが、本人の希望で家族と楽天球団の関係者のみにしか知らされることはありませんでした。
最期まで人前では星野仙一を演じ続けることを決め、弱い素振りを見せずに生涯を全うすると決めたのでしょう。
膵炎、膵臓癌は膵液が臓器を溶かすために猛烈な痛みを生じますが、それを緩和するためのモルヒネの投与を本人は拒否したと言います。
没後は中日スポーツ紙をはじめ、多くのスポーツ紙で回顧録や手記が掲載されることになりました。
懇意のかかりつけ医であり、自宅のある芦屋の松本浩彦院長の手記からは死の10日ほど前に星野氏の要望でタンしゃぶ用のタンを届けた際の元気な姿を知ることができます。
まとめ
星野仙一は2018年1月4日午前5時25分に三重県の次女の嫁ぎ先でもある病院で亡くなっています。
70歳没、死因は膵臓癌。
前年12月には大阪の野球殿堂を祝う会で元気な姿を見せたの公の場での最後の姿となりました。
2016年7月に発覚した膵臓癌は既に肺まで転移しており、余命が数ヶ月程度の宣告を受けていたと言います。
最期まで男・星野仙一を貫き、身内と楽天球団関係者にしかガンである事は教えていませんでした。
本人が癌である事を内密にしていたため、東京11月28日、大阪12月2日の祝賀会での印象を最期に会ったときの様子として語られています。