「室田日出男」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「室田日出男」の死に際とは?日本の人物

「室田日出男(むろたひでお)」とは?

室田日出男の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「室田日出男」とは?簡単に説明

室田日出男は川谷拓三らとともに脇役俳優グループ「ピラニア軍団」を結成し、悪役を中心に数多くの映画やテレビドラマに出演しています。

1957年に東映の第4期ニューフェイスに合格し、翌年にはスター候補生として映画デビューするも、生来の素行の悪さが出て事件を起こし、その後の長い下積み生活に繋がります。

深作欣二監督の「仁義なき戦い」シリーズで悪役として注目され、存在感のある演技を見せる一方で、私生活では覚醒剤不法所持で逮捕されるなど、波瀾万丈の人生を送った昭和から平成を代表する稀代の悪役俳優です。



「室田日出男」の晩年

室田日出男は1992年に緊急入院をして10時間に及ぶ大手術を受けています。

ウイスキーをボトルでラッパ飲みするほどの酒豪で知られた室田は、お酒の飲み過ぎで腎臓を悪くしており、北海道で映画「死んでもいい」の撮影中に倒れたためです。

入院した際に肝臓も肥大していることが発覚し、3週間の入院を経て退院しています。

さらに1995年には東京都内で大量の吐血をし、再び緊急入院します。

この時はICU(集中治療室)で治療を受けています。

亡くなる数年前からは腎臓を患い、闘病生活を続けていました。

晩年は入退院と喧嘩・事件を繰り返す傍ら、演技は高評価され多くの作品への出演が続いています。



「室田日出男」の死に様

室田日出男は2002年6月15日午後10時5分、都内新宿区の東京女子医大病院で肺がんのため亡くなりました。

64歳でした。

室田は2001年11月19日に都内の自宅で倒れ、東京都武蔵野市の病院に緊急入院しています。

黄疸の症状が出ていた室田は検査と治療で2週間程度を見込んでいましたが、症状は意外に重く、当時撮影中だった映画「鏡の女たち」の出演をキャンセルして入院を延期します。

20002年に入り、東京女子医大病院に転院しますが、薬石効亡く、力尽きました。

「室田日出男」の死に様の信憑性

室田日出男の妻・鞆子夫人によると、室田の病状が急変したため、家族は看取れなかったそうです。

また、室田はとても体格のいい身体をしていましたが、(長い闘病生活のため)最期は小さくなって別人のようだったと語っています。

家族は看取られていませんが、病院内での死亡のため、死に様の信憑性は高いと言えます。

まとめ

室田日出男は私生活でも役柄同様に無頼派を遠した俳優です。

その姿勢は徹底していて、映画やドラマ以外のバラエティー番組などには一切出演しなかったそうです。

まさに役者一筋を貫いた俳優さんではないでしょうか。

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