その死には多くの謎が. . . 「川田亜子」の散り際とは?
この記事では川田亜子の晩年と散り際について解説します。
「川田亜子」とは?簡単に説明
TBSテレビの局アナで2002年入社組。
局アナ時代の代表番組としてはSMAPの「稲垣吾郎」氏がメインパーソナリティを務めた『Goro’s Bar』。
また入社して半年で早朝ニュースワイド『いちばん!』のメインキャスターに抜擢されるなど期待を集めました。
その一方で1期下に「明石家さんま」氏司会の日テレの人気番組『恋のから騒ぎ』出身の「小林麻耶」氏。
3期下に『JJ』でモデル経験のある「青木裕子」氏の入社。
局アナ時代の後半はややこの2人の後塵を拝した印象なのが、当時の視聴者の印象でしょう。
「川田亜子」の晩年
2007年3月にTBSを退社してフリーアナウンサーになっていますが、局アナ時代は当時後輩であった小林氏との不仲がゴシップ記事を飾り、いじめる側に名前があがっていたもの、実際は「安住紳一郎」氏のインタビューによれば安住氏同様に孤立していたことが明らかにされています。
独立後は大手芸能プロダクションの傘下である『ケイダッシュ』に入社。
順調に仕事を熟していました。
しかし08年5月12日のブログで「母の日に私は悪魔になってしまった」と告白。
記事は削除されたもの、彼女の精神状態、何かしら不安を抱えているのではないかと推測されるゴシップ記事が夕刊紙や女性週刊誌に掲載されることになりました。
それからまもなくして悲報が飛び込んできました。
「川田亜子」の死に様
08年5月26日の朝、東京都港区の海岸に路駐された白のメルセデスベンツの運転席に座り、ドアにもたれて倒れた状態で発見されています。
29歳没。
死因は一酸化炭素中毒によるもの。
ベンツの後部座席には炭になった練炭が2つおかれていました。
「川田亜子」の死に様の信憑性
5月12日のブログなどから既に何らかの異変があるのは、多くのネット民は知っていたといえるでしょう。
内容からは母の日に中絶をしてしまった事が伺えるものとなりました。
それゆえに当時の交際相手とされた事務所トップに注目が集まったのは必然なことで大きく話題を呼びました。
またその後平和活動家を名乗る外国人との関係も取り沙汰されることになります。
さらには元恋人と平和活動家の間に借金問題があったなど事態は複雑化。
結局川田氏の死は多くの謎を残して有耶無耶になってしまった感は否めません。
特に川田氏は運転免許を持っていないことやラフな格好だったことから、誰かに呼び出されたのではないかなど疑問は残ります。
まとめ
2008年5月25日に自宅のある港区の海岸の倉庫街で練炭自殺により亡くなりました。
29歳没。
死因は一酸化炭素中毒によるもの。
遺書は三通ありうち一通が家族、そして交際相手に向けてのものだったとされます。
極めて謎の多い事件ですが、警察は事件性がないとし謎は有耶無耶になりました。