この記事では、「芥川也寸志」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「芥川也寸志」とは?
芥川也寸志とは日本の作曲家の1人で、管弦楽曲や童謡、映画音楽、CMソングなど幅広く作曲しました。
校歌や社歌なども手掛けました。
また、芥川也寸志は、小説家である芥川龍之介の三男として誕生しています。
東京音楽学校を卒業し、25歳の時に作曲した「交響管弦楽のための音楽」がNHKの管弦楽懸賞に特賞に入賞して作曲家として注目されました。
その後はオーケストラの曲を中心に様々な作品を発表していきます。
「芥川也寸志」の晩年
芥川也寸志は晩年、映画音楽を手掛けています。
芥川也寸志が音楽を担当した映画「八甲田山」と「八つ墓村」は、日本アカデミー賞で最優秀音楽賞と優秀音楽賞を受賞しました。
「八甲田山」は浅田次郎の小説を原作とする日本映画で、高倉健と北大路欣也が主演しています。
その年の日本映画で第1位を記録した作品です。
また、晩年にはNHKの音楽番組で司会を担当したり、ラジオ番組のパーソナリティーを務めるなどマルチに活躍しました。
端正な顔立ちとソフトで知的な話し方で人気を集めています。
「芥川也寸志」の死に様
芥川也寸志が亡くなったのは、1989年1月31日のことでした。
その前年に健康診断を受けた際、肺がんが見つかっています。
日本とソ連の音楽交流の一環としてソ連を訪問し、コンサートに出席する予定でしたが急遽キャンセルとなりました。
東京の国立がんセンターに入院して手術を受けます。
回復して退院した後は軽井沢で静養していましたが、再び悪化して再度入院となりました。
そして回復しないまま63歳で亡くなりました。
「芥川也寸志」の死に様の信憑性
芥川也寸志が亡くなる前日、現代音楽を代表する作曲家で親交が深かった黛敏郎が病院に駆けつけています。
その際、手を握りながら「あとをたのむ」と言ったといいます。
プライベートでは3度の結婚をしていて、最初の妻とは2人の娘をもうけています。
2番目の妻は女優の草笛光子ですが、結婚生活は2年程しか続きませんでした。
3番目の妻はエレクトーン奏者の江川真澄で、最後まで添い遂げました。
江川真澄との間にも息子が1人います。
まとめ
芥川也寸志は晩年も作曲家として活動しており、テレビの司会やラジオのパーソナリティーなどマルチに活躍していました。
肺がんを患い、63歳で亡くなっています。