この記事では、朝丘雪路の晩年や最期を分かりやすく説明します。
朝丘雪路とは?
朝丘雪路とは宝塚歌劇団出身の女優で、バラエティ番組などでも活躍しました。
日本画家である伊東深水の娘で、夫は俳優の津川雅彦です。
おっとりとしたお嬢様キャラが人気で、深夜番組の「11PM」にはアシスタント役として16年間も出演し人気となりました。
宝塚歌劇団では月組に所属し、娘役として活躍しています。
歌手としても活動していて、「星はながれる」や「雨がやんだら」などのヒット曲があります。
朝丘雪路の晩年
朝丘雪路は晩年、バラエティ番組に出演することが多くありました。
お嬢様育ちで父に溺愛されて育ったことから浮世離れしていて、そのキャラクターが愛されていたからです。
また、幼い頃から芸事に親しんでおり、青二塾で日舞の講師を務めてもいます。
2014年にはミュージカル「花や…蝶や…」に出演しており、夫である俳優の津川雅彦と娘で女優の真由子と共演を果たしました。
このミュージカルは、娘の真由子がプロデュースしたものです。
また、この年には2時間ドラマ「銭女」や映画「プラシーボ」にも出演しています。
その後はアルツハイマー型認知症を患い、療養生活を送っていました。
最晩年には、家族のこともよく分からなくなっていたといいます。
朝丘雪路の死に様
朝丘雪路が亡くなったのは、2018年4月のことでした。
死因はアルツハイマー型認知症で、享年82でした。
アルツハイマー型認知症は、脳の神経ネットワークにダメージを受けることで記憶力が低下したりする病気です。
物忘れがひどくなるというイメージがありますが、進行すると体の動きを司る脳の領域にまで広がるので循環器疾患や呼吸器疾患を招くといわれています。
朝丘雪路も最晩年には、夫の顔も認識できていなかったようです。
朝丘雪路の死に様の信憑性
遺作となった映画「プラシーボ」に出演した時には、すでにアルツハイマー型認知症の症状が出ていたといいます。
しかし、カメラが周り始めると普通に演技ができたので、周りのスタッフも驚いたといいます。
しかし、徐々に症状が悪化し、最後は夫の津川雅彦が自宅で面倒を見ていました。
夫と娘に看取られながら亡くなります。
津川雅彦もその3か月後に亡くなっています。
まとめ
朝丘雪路は晩年も女優として活動していましたが、アルツハイマー型認知症を患います。
そして、82歳で家族に見守られながら亡くなりました。