この記事では、「笠智衆」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「笠智衆」とは?
笠智衆とは名バイプレイヤーとして活躍した俳優で、小津安二郎の映画には欠かせない存在でした。
小津安二郎の作品では父親役を多数演じていることから、日本の父親像を確立したともいわれます。
1942年に公開された映画「父ありき」には主演しており、実年齢は7歳も年下の俳優の父親役を見事に演じました。
また、テレビドラマにも進出しNHKの連続テレビ小説「たまゆら」にも出演しています。
名立たる脚本家から指名されることもありました。
「笠智衆」の晩年
笠智衆は晩年、生涯現役をモットーに俳優活動に励んでいました。
長年、父親役を演じることが多かった笠智衆ですが、晩年は祖父役を演じることが多くなっていました。
山田洋二監督の映画「男はつらいよ」シリーズでは柴又帝釈天の午前様を演じており、その影響もあって優しいおじいさんというイメージが定着していました。
1987年にはNHKで放送されたテレビドラマ「今朝の秋」に主演しています。
当時、笠智衆は83歳で、テレビドラマの主演は当時としては史上最高齢でした。
その後も映画「マルサの女2」やドキュメンタリー映画「東京画」、黒澤明監督の日米合作映画「夢」などに出演しています。
また、私生活はあまり明かすことはありませんでしたが、妻との間には息子が2人います。
映画「日本のいちばん長い日」で親子共演をしたこともありました。
孫の笠兼三も俳優で、笠智衆の死後にリメイクされた「日本のいちばん長い日」に出演しています。
「笠智衆」の死に様
笠智衆は1993年3月16日に亡くなりました。
享年88です。
高齢ということもあり体調はあまりよくなく、入退院を繰り返していたといいます。
「笠智衆」の死に様の信憑性
笠智衆の死因は公表されていませんが、膀胱がんを患っていたようです。
年齢もあって積極的な治療は行わなかったといわれています。
亡くなる3か月前に公開された映画「男はつらいよ寅次郎の青春」が遺作となっています。
笠の体調を考慮して、自宅で撮影されたといいます。
まさに俳優人生を全うしたといっていいでしょう。
まとめ
笠智衆は晩年も、生涯現役であることを望み映画やテレビドラマなど多数の作品に出演していました。
最晩年は膀胱がんを患い、体調を崩すことも多かったといいます。
そして、88歳で亡くなりました。