「浦辺粂子」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解説

「浦辺粂子」の死に際とは?日本の人物

おばあちゃんアイドルとして数多くのテレビ番組に出演していた浦辺粂子(うらべくめこ)は、87歳で亡くなっています。

今回は、大正から昭和期にかけて女優として活躍していた彼女の死因に迫ります。

「浦辺粂子」とは?簡単に説明

明治35年に現在の静岡県下田市で生まれた浦辺粂子こと木村くめは、キャリア60年を超える俳優生活において、合計300本以上の映画に出演した女優で、昭和の終わりごろからはテレビのバラエティ番組などで「おばあちゃんアイドル」として人気を集めていました。

女学校を中退して映画製作会社である日活に入社した彼女は、浦辺粂子という芸名でデビューを飾り、類まれなる演技力を買われ、順調に女優としてのキャリアを重ねていきます。

昭和期に入り結婚と離婚を経て、さらにその存在感を増していった浦辺は、戦後老け役女優としてその地位を不動のものとし、一方でテレビのバラエティ番組に出演したことで、「おばあちゃんアイドル」としても人気を集めていくことになります。

晩年においても活躍の勢いが衰えることはありませんでしたが、平成元年10月25日、大火傷による多臓器不全のため87歳で死去しています。



「浦辺粂子」の死に様

平成元年10月25日、当時元気に一人暮らしをしていた浦辺粂子は、自宅でお湯を沸かすためにガスコンロにやかんをのせて火を付けると、着ていた浴衣のたもとに引火していまい、あっという間に炎に全身を包まれ、火だるまになりながら、自宅の玄関から飛び出しますが、着ていた浴衣はすでにそのほとんどが焼け焦げており、裸同然のまま自宅の門扉にしがみついて助けを呼んでいました。

焼け焦げてしまっていた浦辺を発見した近所の住人が、すぐに救急車を呼んで、西新宿の東京医大病院に搬送されますが、搬送時には全身の70%が火傷による重傷を負っていたため意識は朦朧としており、そのまま入院するものの、翌日の未明には多臓器不全により87歳の生涯に幕を下ろしています。



「浦辺粂子」の死に様の信憑性

浦辺粂子は自身が亡くなる3年ほど前には、当時同じく一人で暮らしていた自宅の階段から足を踏み外してしまい、転落事故を起こしていました。

事故当日は仕事がオフだった浦辺は、階段から転落した後、3日間もの間、意識不明のまま誰にも気づかれず、数日間連絡が取れないのを心配した知人により発見されています。

彼女が発見された当時は、落ちた階段の下から少し離れた階下のバスルームや台所にまで浦辺が流した血が広がり、どす黒く固まっていたほどだったと言います。

この事故で頭部を20針縫い、全治まで2ヵ月近く入院生活を送った浦辺を心配した友人の女優である浅香光代は、この事故の後、一人暮らしの浦辺を想って、老人ホームなどへの入居を勧めましたが、本人は一人の方が気が楽で良いと言って最後まで取り合おうはしませんでした。

「浦辺粂子」の小ネタ等

昭和59年に「わたし歌手になりましたよ」をリリースして、82歳にして歌手デビューを果たした浦辺粂子は、平成4年に「きんさんぎんさん」に自身の記録を抜かれるまでは、日本における最高齢のレコードデビュー記録を保持していました。

まとめ

60年を超える女優のキャリアにおいて300本以上の映画に出演し、老け役女優として戦後の銀幕上を賑わせた浦辺粂子は、不慮の事故により87歳で永眠しています。

晩年は「おばあちゃんアイドル」として、多くのファンから親しまれていた彼女の屈託のない笑顔は、今でも我々の胸に焼き付いています。

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