この記事では、「一ノ瀬泰造」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「一ノ瀬泰造」とは?
一ノ瀬泰造とは佐賀県出身の報道写真家で、バングラディシュやベトナム、カンボジアといった戦地をめぐり写真を撮り続けました。
1999年に一ノ瀬泰造をモデルにした映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」が公開され、話題となっています。
一ノ瀬泰造役を演じたのは、俳優の浅野忠信です。
また、2003年には一ノ瀬泰造の生涯を追ったドキュメンタリー映画「TAIZO?戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実?」も公開されています。
「一ノ瀬泰造」の晩年
一ノ瀬泰造は晩年、フリーランスのカメラマンとして活動していました。
米軍キャンプ内にある写真屋で働き、お金を貯めてインド・パキスタン戦争を取材するための資金にします。
その後、ベトナム戦争から波及したカンボジア内戦を中心に取材を行いました。
アサヒグラフやワシントン・ポストなどで活躍しています。
一ノ瀬泰造の代表作「安全へのダイブ」は、UPIニュース写真月間最優秀賞を受賞しました。
「一ノ瀬泰造」の死に様
一ノ瀬泰造は1973年11月、単身でアンコール・ワットに潜入しました。
しかし、行方不明となり消息を絶ちます。
消息は不明のままでしたが、9年後にアンコール・ワット北部のプラダックという村に一ノ瀬泰造の墓があることが分かり両親が赴いて遺骨を収集しました。
アンコール・ワットに潜入してからまもなくクメール・ルージュに捕えられ、処刑されていたのです。
一ノ瀬の両親は息子が生存していることを信じ、カンボジア政府に捜索してくれるように何度も働きかけていたといいます。
プラダック村の人が一ノ瀬泰造の墓を覚えていたため、両親が掘り返しました。
「一ノ瀬泰造」の死に様の信憑性
一ノ瀬泰造を処刑したのは、クメール・ルージュという武装組織でした。
ポル・ポト派と呼ばれることもあり、カンボジア国内で組織的な迫害や大量虐殺を行っていた組織になります。
一ノ瀬泰造はアンコール・ワット潜入後に捕えられてしまいます。
大切なカメラを取り上げられたことから反抗的な態度を取り、それがきっかけで処刑されたといわれています。
26歳になったばかりでした。
まとめ
一ノ瀬泰造は晩年、カンボジア内戦の取材を行っていました。
アンコール・ワットに単独で潜入したところ、武装組織に捕えられ処刑されてしまいます。
26歳という若さでした。