「水木しげる」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「水木しげる」の死に際とは?日本の人物

ゲゲゲの鬼太郎の生みの親「水木しげる」その晩年と最期とは?

この記事では水木しげるの晩年と最期について解説します。

「水木しげる」とは?簡単に説明

いわずとしれた『ゲゲゲの鬼太郎』の生みの親。

鬼太郎以外にも日本の民話などに登場した妖怪図鑑を出版するなど日本の妖怪研究の第一人者だと言っていいでしょう。

近年では夫人である「武良布枝」が書いた『ゲゲゲの女房』がNHKの朝ドラや舞台化されており、こちらから改めて水木氏の一面を知った方も多いと思われます。

妖怪漫画だけでなく、太平洋戦争経験者ならではの実録物も手がけており、ニューギニア戦線を描いた総員玉砕せよ!』は国際的な評価も高く、戦争の悲惨さを世界に訴えた作品となりました。



「水木しげる」の晩年

1994年に自叙伝的な『完全版水木しげる伝』を出版しているものの、自身の漫画伝は存在していなかったため、『水木しげる漫画大全集』を2013年から刊行。

毎月3日頃に2?3冊を出版しています。

自身の代名詞ともいえる『ゲゲゲの鬼太郎』は水木しげる名義での全作品が収められる形となりました。

また89年の『コミック昭和史』94年の『完全版水木しげる』を補完する形で2014年にはビッグコミックから『わたしの日々』で連載。

『怪』で連載中の『水木しげるの日本霊異記』に続けて90歳を越えての連載となりました。

またTwitterに度々投稿するなど、卒寿を迎えて元気な姿を見せていました。

その一方で2014年末に急性心筋梗塞を起こし入院。

15年の2月に退院しています。



「水木しげる」の死に様

2015年11月15日に東京の自宅で転倒。

その際に頭部を強打し、急性硬膜下出血を発症してしまいます。

これを除去するために手術が行われ、打撲は完治。

このまま良化すると思われましたが、30日なって容態が急変。

同年11月30日午前7時15分、93歳にて帰らぬ人となってしまいました。

死因は多臓器不全によるものでした。

「水木しげる」の死に様の信憑性

2015年にビッグコミックで連載されていた『わたしの日々』が唐突に連載終了したものの、これは理由が体調不良な訳でなく、ネタ切れによるものでした。

ただし2014年の年末に急性心筋梗塞を起こしており、当初水木プロダクションから発表された死因は心筋梗塞によるものでした。

死因である多臓器不全の理由は様々であり、心不全がその1つになった可能性もあるでしょう。

まとめ

「水木しげる」は2015年11月30日午前7時15分に永眠。

93歳没。

死因は当初心筋梗塞と発表されていますが、多臓器不全に訂正されました。

14年12月に急性心筋梗塞で入院し、15年2月に退院しています。

当初は車椅子でしたが、自宅とオフィス間1キロ程度歩けるまでには回復していたと言います。

死因は多臓器不全ですが、当初は心筋梗塞と発表されていることから何らかの因果はあるのかもしれません。

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