「中谷一郎(なかたにいちろう)」とは?
中谷一郎の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「中谷一郎」とは?簡単に説明
中谷一郎は昭和期から平成期にかけて活躍した俳優です。
俳優座養成所4期生で、同期に仲代達矢、宇津井健、佐藤慶らがいます。
1959年(昭和34年)製作の映画「独立愚連隊」で注目され、その後も存在感のある脇役として「用心棒」「日本のいちばん長い日」などに出演しています。
中谷一郎の最も有名な当たり役と言えば、テレビ時代劇「水戸黄門」での“風車の弥七”役でしょう。
「水戸黄門」の放送開始より30年以上にわたって演じた“風車の弥七”は中谷の代名詞となっています。
「中谷一郎」の晩年
中谷一郎は1993年(平成5年)に大腸がん手術を受けており、その後も糖尿病と闘いながら入退院を繰り返す中、2003年(平成15年)の暮れにはがんの転移が判明し、2004年(平成16年)1月から入院生活を送っていました。
中谷と言えば何といっても「水戸黄門」の弥七役です。
1969年(昭和44年)8月の放送開始から1999年(平成11年)に放送の第27部まで30年余りにわたって水戸のご老公に仕え、出演回数は687回を数えています。
がんを患ってからは入退院の合間に「水戸黄門」の仕事をこなしていました。
最晩年には妻で俳優座の女優でもある美苗に「病気が完全に治るまで誰にも会わない」と言って、回復を信じながら闘病生活を送っていたようです。
また美苗は少女時代からの夢だった脚本執筆を中谷の後押しで始めていましたが、亡くなる直前に中谷から「僕が死んでも書き続けてほしい」と言われていたそうです。
「中谷一郎」の死に様
2004年(平成16年)1月に東京都豊島区の癌研究会附属病院に入院した中谷一郎は、医師に「手術はしなくていい」と申し出て、放射線治療を受けていました。
しかし、その甲斐もなく2004年4月1日午前9時42分、同病院で亡くなります。
死因は転移が判明した咽頭がんです。
73歳でした。
中谷が所属する劇団俳優座によると、「妻の美苗が1人で看取る、静かな最期でした」とのことです。
亡くなった4月1日は俳優座の劇団総会が開催されており、その場で中谷の訃報が伝えられました。
「中谷一郎」の死に様の信憑性
中谷一郎の死去は病院でのことであり、妻の美苗が看取っていること、劇団俳優座からの公式発表などからもその死に関しての信憑性は高いでしょう。
まとめ
テレビ時代劇「水戸黄門」の初代黄門役の東野英治郎が黄門役を引退する際に、中谷も弥七役の降板を申し入れたそうですが、番組プロデューサーから「降板するならドラマ自体を終わらせる」と言われ引き留められたそうです。
主役ではない一脇役の降板要請に対してプロデューサーにここまで言わせる中谷演じる弥七の存在感は半端ではありませんね。