この記事では、「田部井淳子」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「田部井淳子」とは?
田部井淳子とは福島県出身の登山家で、女性として初めて世界最高峰のエベレストに登頂した人物として知られています。
また、七大陸最高峰の登頂に女性として初めて成功したのも田部井淳子でした。
大学を卒業してから本格的に登山を目指し、女性だけの登山隊を作ります。
当時、女性に登山は無理だという偏見が根強くありました。
そんな中でエベレストの登頂に成功したのは、1975年のことです。
ネパール王国の最高勲章を受章しています。
「田部井淳子」の晩年
田部井淳子は、晩年も山に登り続けていました。
また、山の魅力を伝える活動や環境保全への啓蒙活動も等も行っています。
国内外で清掃を目的にした登山を行ったりもしていたようです。
2000年には九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程を修了しますが、エベレストのゴミ問題をテーマにしています。
こういった問題に取り組むきっかけとなったのは、自らがエベレストに登った時に酸素マスクを置いてきてしまったことでした。
エベレストでは、その酸素マスクもゴミになってしまいます。
山岳環境保護団体のハット・ジェーの代表を務めたりもしています。
「田部井淳子」の死に様
田部井淳子は2016年10月2日に亡くなりました。
享年77です。
死因は腹膜がんです。
腹膜は、胃や腸、肝臓の一部、横隔膜、子宮といったお腹の中にある臓器を覆う膜のことをいいます。
この腹膜に発生するがんですが、がんの中では非常に希少です。
お腹の中で広範囲に広がった状態で発見されることが多いとされます。
また、田部井淳子はそれ以前にも乳がんを患っており、摘出手術を受けたこともあります。
晩年は闘病生活を送っていましたが、体調をみながら登山も続けていました。
「田部井淳子」の死に様の信憑性
田部井淳子は、亡くなる3か月前にも登山を行っています。
東日本大震災で被災した人たちを支援する活動の一環として、東北地方の高校生らと共に富士山に登りました。
その時は7合目で断念したので、登頂することはできませんでした。
これは田部井淳子の最後の登山となります。
まとめ
田部井淳子は晩年も登山を行っており、山の環境保全や清掃活動にも取り組んでいました。
がんを患い闘病生活を送っていましたが、山に登ることは諦めませんでした。
そして、77歳で腹膜がんにより亡くなっています。