日本の刑事ドラマのテンプレを作った男?「芦田伸介」の死に際とは?
この記事では芦田伸介の晩年と死に際について解説していきます。
「芦田伸介」とは?簡単に説明
大怪我から復帰し、数々のドラマに出演した事でしられています。
特に代表作である『七人の刑事』における浅野刑事部長のハンチング帽にヨレヨレのトレンチコート姿は以降の刑事ドラマや小説、漫画におけるベテラン刑事の扮装として定着していく事になりました。
「芦田伸介」の晩年
昭和天皇の逝去から始まった平成元年、時代が昭和の名優は去れとばかりにC型肝炎を発症した事が長い闘病生活の始まりになりました。
C型肝炎の進行によりのちに癌化してしまいます。
しかし仕事を精力的に続けていたのは間違いないでしょう。
91年にリリースした「ほおずりワルツ」は74歳にして初のレコードとなりました。
1996年には自らの人生を振り返った『歩いて走ってとまるとき』を出版。
壮絶な満州脱出経験などに目がいきがちですが、自身が癌と闘っている事を改めて公表し打ち勝つ事を誓っていました。
「芦田伸介」の死に様
1999年1月9日20時12分、東京都中央区の国立がん研究センターにて死去。
81歳没。
死因はC型肝炎が癌化、その進行によるものでした。
「芦田伸介」の死に様の信憑性
肝臓癌と戦い続けながら精力的に仕事をこなし、既に99年のスケジュールも決まりつつありました。
『松平右近事件帳』などで競演した「里見浩太朗」氏の新春特別公演で2年ぶりの新春公演、並びに明治座に出演するのは自身が青春期を過ごした満州を舞台にした『草原の恋歌-若き日のジンギスカン-』以来1年3ヶ月ぶりの登場。
ファンは芦田氏の健在な姿を見て安堵したかったことでしょう。
しかし年末に体調を崩したため、明治座への出演をキャンセルせざるを得ませんでした。
12月の半ばに国立がん研究センターに入院。
10年もの期間、なんとか堰き止めていた癌が一気に溢れ出すように病状は悪化の一途を辿り、正月明けに力尽きてしまいました。
まとめ
1999年1月9日20時12分、東京都中央区の国立がん研究センターにて永眠。
81歳没。
死因となったのはちょうど10年前に発症したC型肝炎からの癌化によるものです。
肝炎から肝臓癌に移行したのが早いため、恐らく発覚前から何かしら兆候があったのだと思われます。
晩年も精力的な活動をおこなっており、スケジュールも99年は2年ぶりの明治座への出演が決まっていました。
しかし10年小康状態であった癌が進行。
正月公演をキャンセルし、治療に専念しています。
しかし寛解は叶うことはありませんでした。