大阪を拠点に活動していた人気ヒップホップグループ「ET-KING」のリーダーである「いときん」は38歳で亡くなっています。
今回は、映画「えんとつ町のプペル」でブルーノのモデルにもなった彼の死因に迫ります。
「ET-KINGいときん」とは?簡単に説明
昭和54年に兵庫県三田市で誕生した「いときん」こと山田祥正(やまだよしまさ)は、J-POPグループ「ET-KING」のメンバーとして知られる人物です。
平成11年に仲間たちと共にJ-POPユニット「ET-KING」を結成し、大阪を中心に地道にライブ活動などを展開していたいときんは、少しずつその活躍が認められるようになり、平成18年にはメジャーデビューを飾っています。
「お祭り」をテーマに掲げていたこのユニットは、関西弁を使ったヒップホップにより人気を博し、ヒット曲「ギフト」は、第40回日本有線大賞における有線音楽賞を受賞しています。
その後「ET-KING」は一旦は活動を休止して、数年後に再結成しますが、平成30年にリーダーのいときんはがん性心膜炎により38歳で亡くなっています。
「ET-KINGいときん」の死に様
平成30年1月31日、「ET-KING」のリーダーいときんは、がん性心膜炎により38歳という若さで死亡しています。
平成29年に、ステージ4の肺腺がんと診断されたいときんは、受診した際にはすでにリンパ節や脳にもがんが転移していたため、すぐに入院し闘病生活に入っていきます。
闘病を続けながらも、可能な限りアルバムのレコーディングやライブツアーなどに出演していたいときんでしたが、容態が急変したことにより再入院することを余儀なくされてしまい、懸命の治療の甲斐もなく、最期はがん性心膜炎により永眠しています。
「ET-KINGいときん」の死に様の信憑性
ET-KINGのリーダーを務めていたいときんは、死亡する約10日ほど前に体調が急変したことにより、病院に緊急搬送されていました。
病院に到着したいときんはすでに心肺停止状態であり、さらに心臓には水が溜まってしまっていたと言います。
約30分に及ぶ心臓マッサージが功を奏し、一時は持ち直しますが、最期はそのまま意識が戻ることはなく永眠しています。
死亡する1ヶ月半ほど前には、生涯最後となるステージの上から数多くのファンに向けて「みんな、生きろよ」「生きろっ!」と絶叫していたいときんでしたが、最期はがんに打ち克つことはできませんでした。
「ET-KINGいときん」の小ネタ等
お笑いコンビ「キングコング」の西野亮廣が手掛けたアニメ映画「えんとつ町のプペル」の主人公であるブルーノのモデルは「いときん」でした。
また、ET-KINGのヒットナンバー「さよならまたな」は、「えんとつ町のプペル」の物語のベースになっています。
まとめ
J-POPユニット「ET-KING」のリーダーである「いときん」は38歳という若さで亡くなっています。
生前の彼はアニメ映画「えんとつ町のプペル」の主人公であるブルーノのモデルにもなった好青年であり、彼の作った数多くの楽曲は、日本の音楽シーンにおいて現在でも輝き続けています。