藤田まことは、親しみやすく人情味に溢れた役柄を多く演じ人気を博した俳優です。
藤田まことの晩年と最期はどのようなものだったのでしょうか。
藤田まこととは?
藤田まことは、無声映画のスターだった藤間林太郎の次男として誕生します。
1962年に「てなもんや三度笠」という時代劇コメディーに出演すると、視聴率60%を超える大ヒットとなりました。
藤田の知名度も飛躍的に上がりますが、番組の人気は徐々に落ち打ち切られてしまいました。
その後は「必殺仕置き人」や「はぐれ刑事純情派」といったドラマに出演し、コメディからシリアスな役柄まで幅広く演じています。
藤田まことの晩年
藤田まことの晩年の代表作といえば、「剣客商売」です。
池波正太郎の時代小説を原作とする時代劇ドラマで、老剣客でありながら粋な人物の秋山小兵衛を演じました。
しかし、2008年に体調不良のため検査を受けると、食道がんであったことが判明します。
その時出演予定だった舞台は降板し、治療に専念しました。
食道がんの手術は8時間にも及ぶ大手術となりましたが、成功しています。
食道がんが判明してから半年後には復帰し、必殺仕事人シリーズ「必殺仕事人2009」にも出演しています。
藤田まことの最期
食道がんの手術が成功して現場復帰した翌年、藤田まことは今度は慢性閉塞性肺疾患を患います。
幕末にタイムスリップした医師の活躍を描いたドラマ「JIN?仁?」に出演する予定でしたが降板しました。
その後はリハビリを続けていましたが、自宅で食事中に倒れ亡くなります。
大動脈瘤破裂が原因でした。
享年76です。
藤田まことの死に様
藤田まことは療養生活を送っている時も、仕事復帰を目指していました。
「必殺仕事人2010」にも出演する予定で、亡くなる日にも必殺仕事人シリーズの準備原稿を読んでいたといいます。
体調が回復した際には、ナレーションの仕事も務めていました。
藤田まことの家族
藤田まことの父親である藤間林太郎はスターでしたが、あまり家庭を顧みなかったといいます。
母親も生まれてすぐに亡くなっています。
父親が再婚したので継母ができましたが、子ども時代にはこの継母に反発しました。
しかし、後から全く子どもが懐かなかったのはつらいことだったろうと反省する言葉を述べています。
結局、父親と継母は数年で離婚しました。
藤田まことをめぐる逸話
藤田まことというと実直でどこかうだつの上がらない役柄が似合いますが、実際には豪快な遊びを好んだといわれています。
お酒が大好きで、高級クラブを飲み歩きました。
芸人は夢を売る商売だから、派手に遊んだほうがいいという考えの持ち主でした。
まとめ
藤田まことは「はぐれ刑事純情派」や「必殺仕事人」「剣客商売」といったドラマに出演し人気を博しました。
晩年、病に倒れてからも仕事に復帰することを目指していたといいます。
しかし、自宅で食事中に倒れ、76歳で亡くなりました。