この記事では、中川昭一の晩年や最期について紹介します。
中川昭一とは?
中川昭一とは日本の政治家の一人で、8期連続で衆議院議員を務めました。
農林水産大臣や経済産業大臣、財務大臣、内閣府特命担当大臣などを歴任しています。
自由民主党に所属しており、党三役の政務調査会長を務めたこともあります。
東大の法学部を卒業後に銀行に就職しましたが、衆議院議員を務めていた父が急死したことを受けて選挙に立候補します。
トップ当選を果たし、政界入りしました。
小渕内閣で農林水産大臣、小泉内閣の時には経済産業大臣を務めています。
中川昭一の晩年
2008年に麻生内閣が発足すると、中川昭一は財務大臣及び内閣府特命担当大臣に就任しました。
自由民主党総裁選挙の際には当初から麻生太郎への支持を明確にしており、他の候補者を退ける形で麻生太郎が総裁となっています。
様々な大臣を歴任してきた経験があることから、次の総裁の有力候補とみられていました。
しかし、晩年はスキャンダルに見舞われてしまいます。
財務大臣としてイタリア・ローマを訪れていた時、呂律が回らない状態で記者会見を行ったのです。
深酒居眠り会見などとメディアに報じられ、大臣職の辞任に追い込まれます。
その半年後、衆議院議員選挙が行われましたが、落選してしまいました。
中川昭一の死に様
中川昭一は落選から数か月後、自宅で倒れているところを妻によって発見されます。
救急搬送されましたが、病院で死亡が確認されました。
享年56です。
中川昭一の死に様の信憑性
中川昭一の死因は、亡くなった当初ははっきりしませんでした。
検視が行われた段階では、死因不詳となっています。
自殺も疑われましたが、遺書などはなかったといいます。
自殺が疑われる要因としては選挙に落選したこともありますが、中川昭一の父である中川一郎も自殺しているからです。
家族は心筋梗塞と周囲に伝えていました。
しかし、実際は睡眠薬とアルコールを一緒に摂取していて、それが嘔吐を引き起こし嘔吐物が喉に詰まったため窒息して亡くなったようです。
中川昭一は普段から不眠の症状を訴えていて、睡眠薬を常用していました。
大臣辞任の引き金になった酩酊会見を思うと、アルコール依存症だったことも考えられます。
まとめ
中川昭一は晩年、衆議院議員選挙で落選してしまいます。
その数か月後、自宅で亡くなっているのが家族によって発見されました。
享年56です。