TUBE?サザン?元祖夏の王様ワイルドワンズを率いた「加瀬邦彦」の散り際とは?
この記事では加瀬邦彦の晩年と最期について解説します。
「加瀬邦彦」とは?簡単に説明
「ザ・ワイルドワンズ」だけでなく「ザ・スパイダース」「ブルージーンズ」「ザ・タイガース」にも関わりがあり、60年代後半のグループサウンズブームの中心にいた1人が加瀬邦彦だと言っていいでしょう。
『想い出の渚』『シーシーシー』は夏、海を印象させる名曲として歴史に残る名曲。
またそのエレキを存分に活かして作曲された「沢田研二」の『TOKIO』、ファンが挙げるジュリーの代表曲の1位としてつねに候補にあがる『危険なふたり』も世代を越えて歌われています。
一方で「安岡力也」がホタテマンに扮し熱唱した『ホタテのロックンロール』の作曲が加瀬氏なのは知られていません。
「加瀬邦彦」の晩年
渡辺プロから跡地を引き継ぐ形でオープンした「ケネディハウス銀座」のオーナーを務め、「加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズ」としてライブ活動を行うとともに大学時代の先輩で付き合いの長い「加山雄三とハイパーランチャーズ」のプロデュース。
2012年には「ももいろクローバーZ」の横浜アリーナコンサートにも「百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ」として参加しており、音楽活動は積極的に行っていました。
2013年には自身が代表務める会社エイティスリーをライブハウス事業に参画するヒビノに全株式を売却。
新たな展望を視野に入れていたのは間違いありません。
「加瀬邦彦」の死に様
訃報が流れたのは2015年4月22日午前のことでした。
加瀬氏が同月20日21時前後に無くなっていたことが所属事務所から発表されています。
74歳没。
死因はファンにとっては衝撃的な自殺だったことも併せて発表されています。
自宅洗面所前で倒れており、日常用の呼吸カニューレは塞がっていたことが明らかになりました。
「加瀬邦彦」の死に様の信憑性
2001年に出版した著書にて食道がんの手術は長時間となる大手術だったことが明らかにされてはいました。
しかしその時は懸念していた声の保存も術前の段階で医師からの太鼓判を受けています。
しかし2014年2月に発覚した下咽頭がんに関してはその限りではありませんでした。
同年3月にはがんの摘出手術の際に声帯も摘出したと言われています。
2016年の「ザ・ワイルドワンズ」結成50周年ライブには意欲的、声を喪っても発声法を学んでカバーしようと算段。
しかしトレーニングに励むも下咽頭がん手術後の予後が良くなく食欲不振も顕著になりつつあったと言います。
ついで白内障まで患うなどステージへの活力を削がれる事案が立て続けに起きて悲観。
突発的に命を絶ったのではないかとの見方が一般的です。
まとめ
「加瀬邦彦」は2015年4月20日21時頃に自宅洗面所で自ら命を絶ったと推測されます。
翌日の朝、家族がその姿を発見し通報していますが、既に事切れていました。
74歳没。
死因は自殺。
日常用の呼吸カニューレの通気口が塞がっていたことによる窒息死によるものでした。
14年3月の下咽頭がん摘出手術で声帯摘出により声を喪失。
その後は食道発声法に取り組むも体調が芳しくなかったと言われます。
ステージに上がるのはもう無理だと悲観し、突発的に自死を選んだとの見方が多くなっています。