武蔵坊弁慶も白血病には敵わなかった?市川團十郎 (12代目) の晩年と最期を解説。
この記事では市川團十郎 (12代目) の晩年と最期の様子に迫ります。
「市川團十郎 (12代目) 」とは?簡単に説明
いわずと知れた歌舞伎役者であり、成田屋の屋号を持ちます。
市川團十郎 (12代目) であるとともに12才で市川新之助(6代目)、23才で市川海老蔵(10代目)を襲名。
父である市川團十郎 (11代目) が襲名後3年で末期癌に倒れたあとは独学で12代目ならではの芸風を身につけました。
現・團十郎である市川海老蔵(11代目)がドラマや映画に活躍の場を広げるとともに素行の悪さや暴行事件を起こすなどよくもわるくも目立ったため、晩年は父としての顔も強く印象に残しています。
「市川團十郎 (12代目) 」の晩年
本業の歌舞伎に関しては順風満帆の一途であったものの、2つの事案に頭を悩まされることとなりました。
2004年に発覚した白血病で闘病生活により休業を止むなくされています。
もう1つは嫡男の海老蔵の素行不良トラブルによる暴行事件だと言えるでしょう。
暴行事件直後に父として釈明会見に臨み、講演を休むことを本人に変わり陳謝しています。
「市川團十郎 (12代目) 」の死に様
その死が唐突のものだったのは間違いありません。
2012年11月から京都の南座で新歌舞伎「船弁慶」に出演中だったのを肺炎で12月18日に途中降板。
その後帰京、入院するも3月までのスケジュールを体調回復に充てるはずでした。
しかし2013年2月3日夜21時59分に永眠することとなりました。
享年66歳。
死因は肺炎によるものでした。
「市川團十郎 (12代目) 」の死に様の信憑性
訃報が訃げられた翌日の4日に息子の海老蔵が自宅で会見を開き、父の闘病生活について説明をしています。
直接の死因は肺炎ではあるものの白血病が完治してはいなかったことが改めて公表されました。
抗がん剤を投与したことによる免疫力低下を起こし、1月19日頃から容態が急速に悪化。
昏睡状態になる前にはテレビ電話でしか会話ができませんでしたが、闘病生活で苦しいはずなのに笑顔を見せたそうです。
また危篤状態に陥ったのは2月3日だったと説明され、節分行事を切り上げて緊急帰京し、父の最期を看取ったことも明かされています。
まとめ
2013年2月3日21時59分市川團十郎 (12代目) はその生涯を終えています。
享年66才。
直接の死因は肺炎ですが、白血病の影響があったことは明白だと言っていいでしょう。
08年の骨髄移植後も寛解はしておらず闘病生活は続いています。
肺炎で降板したものの当初は回復が楽観視されており、3月までのスケジュールをキャンセルして休養。
体調を充分考慮して復帰の予定が組まれていました。
しかし抗がん剤の投与により、免疫力が低下したことで状況が一変。
様々な合併症を起こし致命的状態に陥ってしまいました。
最期の公演は京都南座「六代目中村勘九郎襲名大披露・東西合同大歌舞伎」。
團十郎自身の当たり役かつ代名詞でもあった武蔵坊弁慶が生涯最期に演じた役となっています。